平成18年3月に、犬射馬場跡の探索をしました。以下は、その時の一文です。
上着を脱ぐと寒く羽織ると汗をかくという中で、「辻」といった方が雰囲気が出る交差点に何やら石が並んでいるのを見つけました。
初めは、赤い幕が際立つ御堂に目が行きましたが、電柱の根方にあるのが犬射馬場の標石でした。
この時に初見した「愛宕地蔵尊」ですが、それについては、下諏訪町誌民俗編編纂委員会『下諏訪町誌 民俗編』〔第十三章 伝説と昔話〕から転載しました。
「隠岐」と「愛宕」の違いはありますが、「馬場に隣接して祠を設け」から、「隠岐のあごなし地蔵」は「現在の愛宕地蔵尊」としました。
その時は拝顔しなかったので、「果たして、お地蔵様に顎はあるのか」が気になっていました。今も、もしかしたら「あごなし地蔵は他所にあるのではないか」という危惧を持っていたからです。
2021−2006=15年経過した令和3年の6月に、その愛宕地蔵尊の前に立ちました。その時に、初めて四体も安置されていることを知りました。それはともかく、頭上にセンサーなどの仕掛けがあるのに気が付けば、「警報が鳴るのでは」と落ち着きません。覗き込むより、撮った写真で検証することにしました。
自宅で新旧の写真を見比べると、その後に植えられた木が青々と茂り背後の家も緑に覆われまったく見えません。そんなことより、まずは「アゴ」です。
しかし、目に飛び込む圧倒的な赤にまぶたを見開いて見詰めますが、いずれも普通の顔でした。
頼みとした下諏訪町図書館ですが、文化財的な価値がないのか愛宕地蔵尊についての記述を見つけられません。こうなると、あごなし地蔵は伝承上の産物とも思えてきます。
それでもと借りた宮坂喜十著『下諏訪の史話』〔大明神に関する古代の石仏〕を開くと、
とあります。「現存する位置は友之町字馬場地籍」と「今の隠岐のあごなし地蔵のある所」から、あごなし地蔵=愛宕地蔵尊で間違いないのですが…。
悩む中で「アゴの先端が欠けただけ」とも思いましたが、ハッキリ「下顎が削れ落ちた」と書いていますから、廃仏毀釈の中で処分された可能性が出てきました。そうなると、これ以上の進展は望めません。
あごなし地蔵が不在となったことで「愛宕」に替わったことが想像できますが、なぜ「愛宕」なのかは相変わらず不明となりました。