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天白サイホン(朝穂堰)と大六天社 山梨県韮崎市三之蔵

 「穂坂路」の別称がある県道23号に、「朝穂堰・天白サイホン入口」の標識があります。「大六天社」を参拝した折に見ました。

コーヒーメーカーに見られる「サイフォン」が一般的ですが、土木用語や文献ではサイホンも多く使われています。

 ネットで調べてみると、コーヒーの「サイフォン(サイホン)」が多く表示する中、身近でも見られる「川をや┏┓状で渡る水道管」のサイホン工法が見つかりました。何となく想像していましたが、その逆の「」などで川底を通るのが、正式な用語ではないそうですが「逆サイホン」と知識を増やしました。

天白サイホン 2010.9.24

 どうしても「サイホン」が気になります。どこにあるとも知れないまま、再拝となった大六天社からさらに奥に延びる林道の先を目指しました。

天白サイホン 10分ぐらいは歩いたでしょうか。左方からいきなり現れた水路ですが、その水は右側の構造物の中で消えています。それが朝穂堰の一構造物である天白サイホンの「始点」でした。
 延々と人工川を伝わってきた水が、ここから導水管で一気に谷底へ落ち、その勢いで駆け上ります。もっとも、サイホンの原理を使っているので「速さも量も一定」ですが、管内が見えないので、どうしても激しい水の動きを想像してしまいます。

天白サイホン 下方に見える手すりの先まで降りてみました。この段上から谷底まで下っている導水施設が一目で見下ろせますが、その先は木々が邪魔をして見えません。
 導水管の上に設置された階段がありますが、下方から「ガサゴソ」と藪をかき分けるような音が伝わってくるのを聞いて、その終点を究めることは諦めました。クマに追われても、急な段を駆け上がる体力は今の私にはありません。

天白サイホン サイホンですから「落ち口以上の高さに上がる」ことはありません。“対岸”の水平位置に目を凝らすと、上写真の[]の部分に木々が途切れて暗い部分があります。
 カメラをズーム最大にしてファインダーを覗くと、階段と手すりが見えました。この下に水が流れているとは想像もできませんが、規模の大きさとサイホンの具体的な構造を確認することができたので大いに満足しました。

天白サイホン サイホンの竣工は昭和50年3月です。すでに樹下となっている現状では、衛星写真ではまったく見えません。
 国土交通省『国土画像情報』で、昭和51年10月27日撮影とある航空写真に当時の痕跡が写っているのを見つけて転載しました。

天白サイホン 『地理院地図Vector』で、入口−出口の断面図を作ってみました。標高は地図上の数値なので、精度は望めません。


朝穂堰

 ネットで調べると、「朝穂堰(ちょうほぜき)」はあっても「サイホン」が見つかりません。山梨県立図書館が『朝穂堰誌』を所蔵しているのはわかりましたが、“越県”しないと閲覧できません。ところが、隣が山梨県となる富士見町の図書館で、韮崎市誌編纂専門委員会『韮崎市誌』を見つけました。第四章「水利」から「二 朝穂堰〈開削の経緯〉」を抜粋で紹介します。

 享保三(1718)年、領主柳沢甲斐守吉里の決断により山口八兵衛を工事奉行に、団子新居村(双葉町)の六郎右衛門が工事を担当し、官費により着工された。新堰は穂坂古堰の傾斜を改めるため、風越山を掘抜き、正楽寺・三之蔵・宮久保・三ツ沢を通過する約十五キロメートルの水路を六ヶ月余りで開削し、同年七月完成した。
 この堀継工事は苦難の連続であった。特に風越穴掘抜きは難工事で「工事中絶のときは総代十五名を磔刑に処す」などの問題もあったが三村は一層団結を固め、三之蔵で大六天社、宮久保は鳥居原へ虚空蔵菩薩、三ツ沢では楯無原へ神明社、三村連合で風越穴出口へ虚空蔵菩薩をそれぞれ勧請し、神仏の加護を求めるとともに村民総出で作業に当たり、ようやく貫通したのである。

 添付の写真には、「朝穂堰改修工事逆サイホン工法により天白沢の谷底に下った水を対岸の水路に揚水──穂坂町三之蔵・遠景は風越山隧道)」と説明があります。
 これを読んで、“この時代”に、大六天社が勧請されたことを知りました。

大六天社

大六天社 深刻な水不足と難工事は『韮崎市誌』の文字から想像するだけですが、これで、大六天社が人里から離れた尾根上にポツンとある理由がわかり、この神社の縁起・由来を改めて紹介することができました。


天白サイホンを究める(って、何を!? ) 2017.11.12

 平成22年の9月に、朝穂堰(ちょうほぜき)の「天白サイホン」を見学しました。その時に気になった「天白」は、サイホンの銘板から「天白沢」から採ったものとわかりました。流域には天白社の存在が考えられますが、深入りはせず、サイホンを上から見下ろしただけで終わらせました。

 それからあっという間の7年が過ぎ、実際に歩いて対岸まで行こうと重い腰を上げました。

天白サイホン 上写真にクッキリと写っている石垣の上から見下ろしました。前回は「怪しげな音」に気が削がれて断念したので、少し緊張しながらハシゴに手を掛けました。


天白サイホン 途中で振り返って仰いだサイホンの鉄管です。今日は水が流れていないので、音は伝わってきません


天白サイホン 最鞍部には、またげるほどの小さな、サイホンの名前となった天白沢がありました。上流には人家がないので、その水が青く濁っているのが気になります。


天白サイホン 同じ勾配のコンクリート段が続くのを見て、「休みは無し」と気合いを入れました。しかし、もろくも挫折し、何回も息継ぎをしてしまいました。
 こちら側の導水管は埋設され、その存在はまったく感じません。

天白サイホン 正式名称不詳の「吐出口」を、何か仕掛けがある構造物と予想していました。
 ところが、“これだけ”です。左側から上がってきた水はごく自然に水路に落ち、当然のように直角に曲がって流れていくのでしょう。因みに、ここに立つまで、撮影を含めて10分強を要しました。

天白サイホン 等高線に少しの勾配がついた水路なので、それに沿う道も同じです。それが延々と続くので、何回も引き返そうと思いました。


天白サイホン 林間にある別荘にも見える人家の脇を過ぎると、宮久保の集落に出ました。
 少し下って、用水が┣ 状に分流する場所を上流に向かって撮ってみました。生垣の手前がその橋です。
 ここで自己紹介します。「初めまして、影法師が八ヶ岳原人です」

天白サイホン これでサイホンの両端を究めることができ、私のこだわりが一つ解消しました。
 最後の写真は、復路で、枝葉の間から何とか撮ることができた「落下口」です。冒頭の写真を対岸から見た形となります。