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「こんぼった石」 諏訪市四賀武津

舟繋ぎ石

 「武津(たけつ)公民館の近くに舟繋ぎ石がある」と聞き、かつての諏訪湖がこの辺りまで広がっていたことを検証できる石として興味を持ちました。

こんぼった石 2006.8.5

 甲州街道を歩く人は多くいます。しかし、街道の定義をどの時代に置くかでルートが変わりますから、正確にトレースするのは難しいようです。

旧甲州街道
旧甲州街道(茅野市を経て山梨県)

 この写真の左端にあるのが、道祖神です。その背後が武津公民館で、電柱状の火の見櫓には半鐘も見えるので、この場所が古くから集落の中心地であることがわかります。因みに、ここに写る「旧甲州街道」は、その先は舗装が切れ、人がすれ違うのも困難な道になっています。

道祖神と秋葉神社 「何にでも御柱を建ててしまう諏訪人には困ったものだ」と半ば呆れながら、舟繋ぎ石があるという公民館前に立ちました。しかし、それらしき石はありません。
 現在は、バイパスの開通で旧国道となって車の通行はまばらで、人の姿はまったくありません。ところが、不思議なことに、私の“出現”に合わせたかのように、旧甲州街道の小道からカメラを提げたお年寄りがこちらに歩いてきます。
 早速「舟繋ぎ石を探しています」と声を掛けてみました。「その道祖神の裏にある」と応えてくれましたが、“これからお出かけ”という姿に心配して制限を申し出たほど「地元では『こんぼった石』と呼んでいる。火を灯して湖からの灯台代わりにした。昔の諏訪湖は極近くにあった。(写真右の)「秋葉山」は公民館横の辻にあったが車の通行の邪魔になるのでここに移した。子(ね)の神神社や秋葉神社はこの裏の山にある」と続きました。

こんぼった石 道祖神の背後に隠れるようにしてあったのが、私が言う舟繋ぎ石でした。その別称が「こんぼった石」とわかったので、傍らに立つ『銘石こんぼった石』を読んでみました。しかし、前に張った植え込みの枝葉が邪魔で、完読する意欲を失いました。

こんぼった石 こんぼった石には、円錐状の窪みが幾つもあります。「灯台代わりにした」との話に、それに油を入れて火を灯したと想像することはできても、この石を使うのは現実的ではありません。風雨対策と、ある程度の高さが必要ですから、各地に残っている木や石の灯籠形式のほうが合理的だからです。
 「舟繋ぎ石」として来た私には余りにもイメージと異なるので、石の基部を覆っているササを払ってみました。ところが、ただ置いた状態です。目測の高さ60センチ・長さ1mのこんな丸石では舟を繋ぐには不適です。言い伝えに反発するのも大人げないのですが、「何か違うのではないか」と、この場を離れました。

銘石「こんぼった石」 斜めながら、季節が変わって見通しがよくなった碑文をテキスト化してみました。ところが、句読点が無い上に文脈の乱れがあるので、肩すかしを食う箇所が幾つかあります。揮毫を請われた諏訪市長も、この撰文にはさぞかし戸惑ったこでしょう。
 私は、何回も読んで、男性の話にあった「灯台の話」は、こんぼった石とは関係ない「秋葉神社の灯火」と理解しました。

 このままでは気が済まないので、お節介にも、句読点を付けて読みやすくしてみました。

 昔この付近が湖水であった頃鷹津と呼び入り江であった。その後竹津と呼び何時の間にか武津と呼ぶ様になった。我々の祖先が漁に出てこの石を舫石(もやいいし)にした。現地より北三十米山の手に有った。
 夜遅い時には秋葉神社の灯火を頼りに帰舟した。区民一同廻り番で毎夜灯火したもので有る。
 この石は我々の先祖が漁に出て帰りを待つ子供達が、淋しい思いをしながら青草を石でつきつき遊び乍ら父母の無事な帰りを待ったと云う。この石は村人達には通称こんぼった石と呼ばれ親しまれて来た。子供達の真心のこもった銘石である。
武津区建立 

 文中の「舫石」が、探していた「舟繋石」と一致しました。試しにネットで「舫石」を検索すると、各地に残っているその石が写真と文で表示しました。何れも大石で貫通した穴が空いていますから、武津の「舫石・舟繋石」とは大きなズレがあります
 「銘石こんぼった石」の由来が心許ないので、諏訪四賀村誌編纂委員会『諏訪四賀村誌』の〔武津〕から抜粋して転載しました。

 秋葉神社の常夜燈の台石が残っている辻をちょっと上った所にあったこんぽうた石〔 昭和五十三年(一九七八)公民館前広場へ道祖神を祭るとき、現在地へ移す〕を、舟つなぎ石であったという言い伝えも残っているので、この辺が諏訪湖であった頃、人家は裏の高い丘の辺にあり津(ふなつきば)より高いところにある村ということから高津と呼ばれたのが、武津の起こりではないかと思われる。

 ここでも、碑文にある「秋葉神社の灯火」が常夜灯であることが確認できました。

「コンボータ・こんぼうた・コンボウタ」

【コンボータ】
砂土を寄せ集めて山を作り、くぼませて水を入れ、泥ダンゴを作る。
諏訪四賀村誌編纂委員会『諏訪四賀村誌』〔四賀地区の民俗〕
【こんぼうた】 乾いた土に水を与えて泥の椀をつくる子供の遊び、窪み、くぼたみから転ず、くぼはめぐり高く、中央低きところ、土を山形に盛り上げ、ひじにて中央を押してくぼみをつくり、水を入れれば泥の椀が出来る(※原文ママ)
岩波泰明著『諏訪の方言』
小原の辻道祖神
 双体の道祖神で、頂上部に小さな窪みがある。通称は「コンボウメの穴」と呼ばれる。子宝を願ってたたいた跡が穴になったものである。「コンボウメ」は女児を「コンボウタ」は男児を願い唱えながらたたいたもので、古い時代の社会と嫁の悲哀を物語っている。
米澤村村史編纂委員会『米澤村村誌』
 日影室内道祖神のコンボーメ(タ)(子供たちが小石でたたいて掘った穴で、台石に丸い穴がいくつもある)も見事である。
原村『原村誌下巻』〔石造物と仏像〕

 四編に共通しているのは「窪み」です。一般的には「盃状穴(はいじょうけつ)」と呼ばれ、神社や路傍の石造物にこのような円錐状の穴がよく見られます。
 武津の皆さんはこれを“銘石”に仕立て上げ、立派な石碑まで建立しましたが…。