「奉造立意趣者現当二世悉皆成就也
慶安元年戌子二月吉日
施主為妙精菩提也」
前宮方面からみると、北斗神社の手前左に上記の案内板が立っています。案内板の位置から背後のプレハブ小屋の中に安置されているようです。鍵に手を掛けましたが、その役目を立派に果たしているので諦めて立ち去りました。
今日はお地蔵さんが招待してくれたのでしょうか、目的もないまま小屋と廃屋の狭い小路に入り込むと、小屋の裏側に当たる左側に何か“石造物の墓場”のような一画がありました。念仏碑や二十三夜塔、観世音菩薩塔、庚申塔などが所狭しと立っています。小屋ができる前は、県道側から直接見えたと思われますが、現在の閉塞された空間では空気がよどみ饐(す)えた臭いさえ漂っていました。
「石幢」が何たるかを知りませんでしたが、「六地蔵」から、穴が六ヶ所あるこの全長190センチの“灯籠”だと分かりました。丸窓をのぞき込むと、地蔵は造りが雑というか簡素というか表情が全くありません。幢自体も、もう少し…、と思われるレベルです。(みごとな神宮寺石と)石をほめるしかなかった教育委員会の苦慮が想像できました。
神宮寺区の裏山から産出する安山岩だそうです。中洲公民館刊『中洲村史』から引用しました。
今は採り尽くされたそうですが、諏訪大社を始め、多くの神社で石祠や灯籠・玉垣などに使われています。写真のように「小豆色」をしていますから、コケが乗っていない限りすぐわかります。
銘の「意趣者現当二世悉皆成就」は、「いしゅは、げんとうにせいしっかいじょうじゅ」と読みます。「現当二世」は仏法の用語ですが、ネットで調べると「悉皆(※全部・全て)」は今でも広く使われていることに驚きました。
「長沢の石幢」については、今井廣亀著『諏訪の石仏』に「神宮寺石幢」として解説がありました。
平成21年8月8日、諏訪市湖南地区を襲った土砂災害は、諏訪大社本宮も巻き込みました。幸いにして社殿に被害は及びませんでした。
四之御柱の脇を流れる沢は、いつもはチョロチョロですが、この時は多くの土砂を堆積させました。二ヶ月経った10月4日ですが、暗渠の工事は手着かずで、まだ土石が境内に置かれていました。
何気なく見ると欠けた部分が小豆色です。神宮寺石でした。加工前の自然石を見るのは初めてなので「85×145cm」と記録しました。シダが生えているので、埋もれていたのではなく山際にあったものと思われました。
プレハブ小屋が取り払われ、石造物群の周囲は“乾燥化”が進んでいました。丸太のベンチはありますが、暫定的なロープ囲いなので、まだ整備は終わっていないようです。開放的になって視野が広がったためか、今日初めて「力石」があることに気がつきました。