法力社の奥にある御堂が気になります。掲額を仰ぐと「清明堂」ですから、即「安倍晴明」に飛んでしまいました。私にとっては突然現れた「阿智村の安倍晴明」ですが、御堂の大きさと荒れ具合が“民俗学的探究心”をくすぐります。
覗くと、中央に八分の一開きの厨子があり、仏像らしきものが金色の光を覗かせています。左右に石仏、その左には箱入りの石棒。両脇は、かつての御堂の屋根にあったと思われる瓦製の鬼板。壁には所狭しと絵馬が掛かっています。また、花瓶代わりと思われるガラス瓶も並んでおり、これらの前に、まだ新しい丸餅が供えられています。
骨董店ともガラクタが並んでいるだけに過ぎないとも言えそうですが、こういうものに惹かれてしまうのが私です。しかし、格子戸越しなので、各々の詳細はわかりません。写真を撮って、自宅でじっくり“探究心”を満足させることにしました。
「寅年男」と読める子どもの絵もありますが、ほとんどの絵馬が女性です。ところが、手を合わせたり、赤子を抱いているようにも見える姿はまちまちで、色も違います。絵馬の大きさも統一性がないので、祈願者が自分で調達した物をここへ持参したのでしょうか。信仰圏がかなり広かったことも考えられます。
多くの絵馬には奉納年月日が見えませんが、◯が干支に当たる「◯年女」と書いてあります。女性に関わる絵馬であることはわかりますが、馬が描かれたものも少なからずあります。「女性と馬!?」一体何の祈願でしょうか。
石仏は、その姿から観音様のようです。左手に何かを抱えていますが、判別できないので具体的な名称を当てはめることができません。
左の石造物は石棒としていましたが、紡錘形(ぼうすいけい)をしています。前に置かれた鶏卵のような丸石も同類と見えますから、所謂(いわゆる)石棒の類ではないようです。女性器の男根形表現でしょうか。
「ンー」と、液晶画面で拡大した写真を眺めながら、彼の地で密かに息づいていた異世界に引き込まれました。
阿智村誌編纂委員会『阿智村誌』〔神社・寺院〕から転載しました。
これを読んで、清明堂が「安産祈願所」であると理解できました。「馬の絵馬」も、考えてみれば家族の一員とも言える大切な馬ですから、人間と同じように安産を願ったのは当然のことでした。
文字が書かれた絵馬は「南無清明観世音」と読めました。もしかしたら、と期待した安倍清明ですが、彼のお出ましはありませんでした。