諏訪大社上社の御射山祭では、御魂代を安置した神輿は、古来からの「御射山道」を使って酒室神社へ立ち寄ります。
同じルートを歩くと、国道20号(現在は県道197号)に突き当たります。
その向こう、青い水槽の左脇を奥へ延びる小道を、私道ではないかと気をもみながら踏み入ると、すぐに右に曲がり、坂室公民館の脇を通って酒室神社の前に出ます。
その道を古御射山道と考えると、車道と歩道の差以上に左へズレていることが不思議に見えます。
反対側の酒室神社側から撮ったものです。ちょっとした鍵の手とも言えそうなほど食い違っています。
この写真を撮るために久しぶりにここに立ったのですが、上水道が完備して久しい今を知るか知らずか、水槽には相も変わらぬ水量が蕩々(とうとう)と流れ込んでいました。
自宅で「他にも同様なズレがあるはず」とその付近を地図で眺めると、用水路があります。「もしや」とストリートビューで確認すると、道を挟んで食い違っているように見えます。
現地で冒頭の写真と同じ方向を見通すと、わずかですが御射山道と同じように左へズレています。目測ですが、その量は水路の巾と同じくらいとしました。
地図上ではその差はわずかですが、地理院地図の最大拡大図を用意しました。
この「御射山道のズレ」が私にとっては平成18年以来の謎でしたが、令和元年になって伊藤文夫さんの講演(後述)を聴いたことで、「国道を境に、今でも地殻が動いているのではないか」との考えに至りました。冒頭の「水槽」も、断層崖によくある湧水とも見えるからです。
6月22日に、諏訪市教育会館で「諸説 諏訪盆地の地形・温泉・御柱・文化財」と題した講演会がありました。その時に「プルアパートベイズン」という用語を耳にしました。
1)プルアパートベイズンとは、横ずれ断層の不連続部ないし屈曲部において、横ずれ断層の変位が累積することにより形成された地殻の陥没地、または地殻の空隙のことをいう。死海がこの好例である。
「死海」を例に挙げられても当惑するだけですが、講演の話から、諏訪盆地(諏訪湖)は「プルアパートベイズンによってできた」と置き換えてみました。それに関連して、茅野市坂室には、関係者以外には知られていないという世界的に有名な断層があることを知りました。
『地理院地図(電子国土Web)』で調べると、「日本の典型地形」として長野県では二例を挙げています。その一つが「茅野断層」で、「地形項目:活断層崖・定義:活断層によって生じた急崖・備考:糸魚川−静岡構造線活断層系」とありました。
これに意気込み、「御射山道のズレは断層の横ズレによるもの!!」と鼻息を荒くして地理院地図の〔活断層図〕を参照すれば、横ずれの方向は合っていますが、断層線は国道からやや離れていました。
これでは、私が唱える「国道を挟んで」は無効となります。
ところが、断層が凹地(■)の中央部を通過しているのにも関わらず、「左右対称」という不自然な地形であることに気が付きました。しかし、地理院に異義を申し立てるのも面倒なので、私の仮説は一時棚上げとしました。
8月に入り、講演会で紹介された藤森孝俊著『活断層からみたプルアパートベイズンとしての諏訪盆地の形成』(以下『諏訪盆地の形成』)をダウンロードしてみました。
〔X. 断層変位地形の記載と変異様式・変位速度〕にある添付図[1.茅野市坂室]を見ると、地理院の地図とは異なったラインです。
ここでは凹地の縁(へり)を通過しているので、理に叶っています。私は「こちらが正しい(精度が高い)」として、「御射山道のズレは断層の横ズレ」を再び進行させることにしました。
『諏訪盆地の形成』〔1.茅野市坂室〕から、「第6図 茅野市坂室周辺の地形復原図」を転載しました。
「A:100m右に戻した時(約13.000〜10.000年前) B:550m右に戻したとき(約65.000〜55.000年前)」とある、断層が起こる前の地形をシミュレートした図です。
B図は「6万年前頃はこんな地形だった」とするものですが、具体的な地形が連想できないので、衛星写真を使って表示してみようと思い立ちました。ところが、衛星(航空)写真では、木々や建物があって高低差がわかりません。何かないかと『国土地理院』にすがると、色が濃いほど急傾斜とある〔傾斜量図〕がありました。
左上にマーキングした黒い帯は、蟹河原(がにかわら)遺跡から葛井神社の先まで見られる、いつかは『ブラタモリ』に取り上げて欲しいと思うほど顕著に見られる断層崖です。
その断層崖と坂室の断層線の方向が似ていることから、「双方の関連性」を検証することにしました。
まず注目したのが、右下の○内にある左右の尾根です。弓振川が分断しているように見えますが、両側の地形を広域で比較すると、まったくの別物とわかります。また、その尾根が近接しているが故に、断層線がその間を走っているとピンポイントでわかる場所と言えます。傾斜量図上に、その場所を通過するラインを断層崖に向かわせると、双方が一直線で重なりました。
順序が逆になった感がありますが、『地理院地図』の〔断層図〕を傾斜量図と同じ範囲で切りとってみました。
これまでに挙げた図版と同じに「蛇行しながら直線」という表示ですが、「横ずれの断層なら単純に一直線」としていいのではないかとの思いを持ちました。
そこで、「一直線」としたラインで“元の鞘に収まる令和の横ずれ大断層”を発生させ、太古の昔に戻すことにしました。
その前に、私の都合に合わせて動かしたと言われないように、『諏訪盆地の形成』がシミュレートした〔B図〕を拡大したものを用意しました。
上図と同じ大きさに拡大した傾斜量図に重ねた断層線[---]でカットした右側部分を、シミュレート図と同じAとDの尾根が繋がる位置(550m)までずらせてみました。
道路のみを表示させて具体的なイメージが湧くようにしましたが、この縮尺では基本的には上図と同じようなものとなりました。
結果として、「国道を境に、今でも地殻が動いているのではないか」に繋がるものは見つからないままで終わりました。
茅野断層の中で横に約550mズレたのが坂室の断層と言えますが、地図ではなく宮川に架かる坂室橋から「D・A」の尾根を撮ってみました。因みに、私が唱える「茅野断層−坂室断層は直線」では、橋の右側を通過します。
私事ですが、振り返ってみれば、この断層線上を四十年も知らずに通勤していたことになりました。
『諏訪盆地の形成』の一部です。文中の記号は前出の添付図に対応しますが、参照しづらいので、マークした部分だけ読んで下さい。
ここでは変位速度とあるので、千年で9mなら百年で90cm・十年で9cm・一年で9mmと順に暗算してみました。この変位量を持続して現在も動いているとすれば、江戸時代から変わらぬ御射山道とのズレが容易に説明できます。
御射山道の直近に流れる弓振川の近くに一等水準点があります。埋もれていて確認できないので、『国土地理院』のサイトで調べてみました。
「成果品質/1970年以降観測されている」が不明ですが、1970年に設置したと理解しました。それから40年近く経っているので、スマホで測定すれば「ズレがわかるかもしれない」と考えました。しかし、スマホ搭載のGPSでは精度が問題、というより[″(秒)]までしか表示しません。計算では36cm動いていることになりますが、誤差の範囲に入ってしまうので諦めました。
この断層線上を中央自動車道が横切っていますから、現在はその動きを止めていると見るのが常識なのでしょう。それを前提として、これ以上、知る人には不安を覚えるような“詮索”をするのは止めることにしました。
改めて冒頭の写真から少し引いて撮ったものを見ると、物置状の建物だけが不自然に飛び出ています。
これを長きに渡って動いた敷地の変化と見れば、側溝が断層線とも見えます。しかし、それは、雨水が国道へ流れ出るのを防ぐ役割とするのが現実的でしょう。