チャンネルを切り替えると、どこかの広場で大石を降ろしています。流れてくる「亀石」と「河西さん」の声の主は、地元局「LCV」でした。その二つのワードがキーとなり、青緑の石が「あの亀石」と直感しました。「濡れると模様が鮮やかになる」と水を掛けるシーンもあります。しかし、番組は終了間近だったので、どこに設置したのか分かりません。
翌々日の地元紙に、「亀石130年ぶりに“帰城”」とコラム形式で載っていました。高さ50センチ、幅1.2メートル、厚さ70センチ、重さ800キロとあります。「地元諏訪市の河西さんが、夫の遺志で「亀石」を市に寄贈し高島城に移された」と紹介しています。
九州は雨で、こちらも、遅くには雪ではなく雨という予報です。その割に朝はしっかりと冷え、すでに10時というのに、風の冷たさに温度計を見ると3度です。2月半ばでは当然ですが、最近は暖かい日が続くので体が季節を取り違えています。
考えてみれば初めての入城で、目印となる「覗石松」がどこにあるのか分かりません。しかし、訊くまでもなく見つかり、その脇に「亀石」はありました。“諸元”は数字としては頭に入っていましたが、意外とコンパクトに感じました。昨夜は「ペットボトルで水を持参」も、直前には面倒となりあっさり止めました。しかし、水を掛けるまでもなく、その色や模様は鮮やかでした。
まだ仮設置と思われる柵は、写真を撮るにはもう少し広くした方が、と思いながらシャッターを押しました。これも仮という案内板には「高島城亀石」とあります。しかし、「諏訪七石の亀石」とは書いてありません。
頭部と下部の白い斑を“余りの色違いに”もしかしたら」と爪でこすってみましたが、当然ながら石そのものでした。
「諏訪七石の亀石」は、茅野市の「千野川神社」附近にあったと伝えられています。目の前の亀石が「諏訪七石」だとすれば、洪水で流されて行方不明→下流で見つかったが高島(諏訪)藩に献上→廃藩置県で払い下げられ諏訪市「河西家」が所有→高島城に戻る、という大いなる流転になります。しかし、この時代差では、それぞれが同一の亀石とは限りません。そのためか、「千野川神社の亀石・諏訪七石」については新聞では一切触れていませんでした。
私が「これは銘石です」と保証しても全く重みがありませんが、如何に銘石であっても「諏訪七石の一つ」とは成り得ないでしょう。
庭石としては申し分ありませんが、何かが欠けています。大きさでしょうか・形でしょうか、美しすぎるということもあります。何かまとまりすぎていて畏れを感じないからなのでしょうか、と列挙しても…。取りあえず「諏訪七石(磐座として)の品格がない」と逃げることにしました。
平成25年7月8日、久しぶりに拝観してきました。“拝観”としたのは、注連縄が掛けられていたからです。案内板に「水をかけると、願いがかなうと言われています」とあるので、素直にそれを信じて手を合わせる人もいるのでしょう。お賽銭も置かれていました。