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北沢の大石棒(北沢川の大石棒) 南佐久郡佐久穂町 2005.4.24

「北沢川の大石棒」は、案内板の標記です。

日本一の大石棒

北沢の大石棒
「柱 三題」

 田圃の土手にあった「北沢の大石棒」は、「日本一大きい」と冠が付く長さ2.23mという縄文時代の遺物です。余りにも古すぎて書くことがないのでしょう、教育委員会設置の案内板は数行で終わっていました。
 それを補うように「私がここを離れてもこの世から消滅しても北沢川は流れ続け、大石棒もここに立ち続ける…」と鼻からため息を出しましたが、余りにも古く大きいので、それ以上のことを巡らすことは止めにしました。
 この石棒は、触ったり撫で撫でしても全長が変わることはありません。写真を撮り終えれば、「日本一」であっても、私がここに立っている“意義”はなくなります。本来の目的地である高野町の諏訪神社へ向かいました。

北沢の大石棒

北沢の大石棒「添付図」 佐久町誌刊行会編『佐久町誌』の〔縄文時代〕から、「北沢の大石棒」に関係する部分を転載しました。
 「高野町北沢川ほとりの田圃の畦に立つ、全長二二三センチ、直径二五センチの大石棒である。日本各地から現在までたくさんの石棒が出土しているが、これを上まわるものはいまだに現れないのでまさに日本一の大石俸の威厳を保っている。大正末年北沢川の改修工事により発見された石棒は、高見沢伊重氏が貴重なものとおもい自分の田圃の畦に立てて守ってくださったおかげで現在に至るまで保存されたのである。いまも全国の考古学研究者が見学に訪れている。
 この石棒は、佐久西小学校の周辺から三本木団地にかけて、縄文時代中期後半〜後期前半(約四五〇〇年〜三五〇〇年前ごろ)まで大集落を営み暮らしていた縄文中期の人びとが集落のシンボルとしてつくったのであろう」

 これを読んで、北沢の大石棒が、河川敷内とも言える田圃の畦にある不思議さは解消しました。

北沢の大石棒
中部横断自動車道から見た「北沢の大石棒」

 しかし、北沢の大石棒が発見された場所が、集落が営まれた北沢川で形成された河岸段丘上(三本木団地・佐久西小学校)でないことの謎が出てきます。それは「段丘の北端に立てられたものが北沢川の浸食で倒壊して落下した」と説明できますが、…『八千穂村誌』〔原始時代/巨大な石棒〕では「(ただし、ここまで巨大な類例はあまりなく、後世の造形物とする見方もないわけではない)」と書いています。