長野県庶務課『諏訪郡村誌(草稿本)』の〔豊田村〕には、有賀七御社宮司の一社「小敷原社(こしきばらしゃ)」があります。
明治11年の“公文書”なので固い表現ですが、一本の松に桜の宿り木があると書き、挿絵も載っています。
このサイズでは判別できないので、以下に「宿木」とある部分を拡大して載せました。
作者が「県に提出するから」と気張った力作と思われますが、現在は、その「桜の宿り木」については何の消息も聞くことができません。何しろ140年前の文書ですから、すでに消滅したことは間違いありません。それでも、自分の目で確認しなければ気が収まりません
実は、去年初めて探したのですが、目と首が疲れただけでした。
同じ桜でも、品種によっては開花期が異なります。今年はソメイヨシノが散り始めという時期を狙って出掛けました。
結果は、(読者の)推察通り、その存在を認めることはできませんでした。“三本松の奇蹟”は起きていませんでした。
それなら「挿絵と同じ構図の写真をお土産に」と「諏訪湖−神送り山−三本松」ライン上に立つと、諏訪湖がまったく見えません。背後は下り一方の地形なので、諏訪湖を俯瞰する写真は不可能でした。背中に圧迫感を感じる巨大な給水塔の上なら可能と思われますが…。
しかたなく、山際へ続く道から、並立した松を撮りました。
上写真中央右手に、一本の桜が写っています。直下の諏訪湖サービスエリアからこの場所に上がる歩道があり、“ここに関連した人”と思われる胸像があります。ただし、こちら側からは入れないので、それ以上の説明はできません。
三本松とは距離的に近いので、宿り木桜の代役として挙げてみました。樹齢は、中央自動車道とほぼ同等ということになります。
挿絵にある「神送山」を、豊田村誌編纂委員会『豊田村誌 上巻』〔豊田の遺跡と遺物〕から転載しました。