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小敷原社跡「(幻の)三本松の桜宿木」 諏訪市豊田 2018.4.11

 長野県庶務課『諏訪郡村誌(草稿本)』の〔豊田村〕には、有賀七御社宮司の一社「小敷原社(こしきばらしゃ)」があります。

小敷原社
 有賀にあり。東西八間南北四間面積三拾弐坪小敷原渡リノ明神と称す。祠なくして三樹の松あり。之を三本松と云。各幹を接す大なる二樹は周回壱丈壱尺あり。
 其一樹の蟠屈(ばんくつ)せる股間に桜の宿木あり。初夏に至りて漸く花を開き、暗然たる緑葉の中に隱顯(いんけん)して自ら不時の観を為す。
 小なる者一樹は周四尺五寸。古一樹の枯れるあり。後此小木植ずして生すと云。

 明治11年の“公文書”なので固い表現ですが、一本の松に桜の宿り木があると書き、挿絵も載っています。

小敷原の三本松

 このサイズでは判別できないので、以下に「宿木」とある部分を拡大して載せました。

桜宿り木 作者が「県に提出するから」と気張った力作と思われますが、現在は、その「桜の宿り木」については何の消息も聞くことができません。何しろ140年前の文書ですから、すでに消滅したことは間違いありません。それでも、自分の目で確認しなければ気が収まりません
 実は、去年初めて探したのですが、目と首が疲れただけでした。

小敷原の三本松
三本松space一本松(神送山)

 同じ桜でも、品種によっては開花期が異なります。今年はソメイヨシノが散り始めという時期を狙って出掛けました。
 結果は、(読者の)推察通り、その存在を認めることはできませんでした。“三本松の奇蹟”は起きていませんでした。
 それなら「挿絵と同じ構図の写真をお土産に」と「諏訪湖−神送り山−三本松」ライン上に立つと、諏訪湖がまったく見えません。背後は下り一方の地形なので、諏訪湖を俯瞰する写真は不可能でした。背中に圧迫感を感じる巨大な給水塔の上なら可能と思われますが…。

一本松と三本松

 しかたなく、山際へ続く道から、並立した松を撮りました。

諏訪湖と桜 上写真中央右手に、一本の桜が写っています。直下の諏訪湖サービスエリアからこの場所に上がる歩道があり、“ここに関連した人”と思われる胸像があります。ただし、こちら側からは入れないので、それ以上の説明はできません。

 三本松とは距離的に近いので、宿り木桜の代役として挙げてみました。樹齢は、中央自動車道とほぼ同等ということになります。

神送り山(一本松)

 挿絵にある「神送山」を、豊田村誌編纂委員会『豊田村誌 上巻』〔豊田の遺跡と遺物〕から転載しました。

神送り山遺跡 通称「神送り山」と呼ばれる標高八三五mの丘陵を中心とした起伏に富んだところに神送り山遺跡はあった。現在の中央道諏訪湖サービスエリア一帯である。
(中略)
 神送り山は神無月に諏訪に集まった神々がそれぞれ帰国する際この地で見送った地とも伝えられており、内県の最北にあたる。歴史的に重要な場所と考えられており、神送り山の西南部の高台には古字で「お天井(てんじょう)」という地名も残っている。