from八ヶ岳原人Home / 雑記書留メニュー /

今も残る一里塚 富士見町御射山神戸 2012.8.22

 富士見町教育委員会が設置した案内板から、後半の部分を転載しました。

富士見町指定史跡 御射山神戸(みさやまごうど)の一里塚
 この一里塚は集落の北はずれにあって、江戸の日本橋から四八里め(四九里との説もある)の塚であるといわれ、明治中期までその役割を果たしていた。道路の東塚にはエノキが、西塚にはケヤキが育っていたが、東塚のエノキは明治初期に枯れてしまったという。
 残っている西塚のケヤキは、塚がつくられた慶長年間に植えられたものと推定され、樹齢はおよそ三八〇年を数える。現在では目通り高で幹の太さが周囲六・九メートル、樹は約二五メートルの巨木となり、長い歳月と風雪にたえて堂々たる風格をそなえ、樹勢もなお盛んである。
 甲州街道でこのように塚・ケヤキともに往時のものが保存されている例は他になく、実に貴重な存在である。

 地元諏訪郡の富士見町にある一里塚のケヤキが、今でも当時のままに枝葉を広げているとは知りませんでした。それも「甲州街道で唯一」とありますから驚きです。

西塚

 国道におさらばして、緊急時にはバイパスとしても使えそうな旧甲州街道を茅野市方面に向かって歩きます。左から山の木々が迫ってくると、前方に一際大きな木が見えました。巨木と言ってもいいでしょう。

御射山神戸の一里塚「西塚」

 “通常”目にするのは「一里塚跡」なので、方角を冠した塚の名称が奇異に感じます。地図では“四捨五入”で「東・西」になるという微妙さですが、現地では素直に「この方角が西なのか」と疑問も湧きませんでした。

東塚

御射山神戸の一里塚「東塚」 左肩に圧迫感を感じるほどの大木に成長した今では、根張りと塚がほぼ同じ大きさになっています。380年の樹齢に敬意を表して根を避けると、足の置き場がありません。写真は不安定な体勢で撮った東塚ですが、同じ規格で築かれたものであっても、あちらのほうが一里塚らしく見えてしまいました。
 帰り際に両塚が並んだ写真を撮ろうとしました。しかし、どの場所に立っても周囲の木が邪魔になり、“ただの林と高木一本”にしか見えませんでした。