書名がうろ覚えですが『長野県の道祖神』の目次で「南信」をたどると、原村室内(むろうち)の道祖神がありました。私には初見の所在地ですが、その道の人に注目されたということでしょう。図書館で調べると、以下の二誌に解説がありました。
石祠左右の彫刻が見事。女陰の図案化と見られ特異である。
日向室内の石祠は両面女陰を図案化したもので、見事である。
「特異・見事」とあれば、これはもう拝観しに行くしかありません。しかし、私が居住する原村の集落の一つである「室内」であっても、どこにあるのか見当も付きません。
10月3日、「道祖神は、集落の辻にあるのが一般的だよね」と、取りあえず室内に向かいました。
室内公民館の敷地に接した辻に、石造物が並んでいる一画があります。背後の小丘にも祝神の祠が幾つかあります。周囲は田畑で、人家は一軒もありません。それでも火の見櫓があり、何よりも公民館があるので、旧室内新田村が開村して以来の中心地であることがわかります。因みに、旧村社は諏訪大社上社縁の闢廬社(あきほ・あきおしゃ)です。
上写真では中央右にある石造物群の中に、双体道祖神像が彫られた丸石と、線刻の双体道祖神を収めた石祠がありました。
該当物件は石祠ですから、迷わずその前に立ちました。向拝柱は木に変わっていますが、目立つ損傷はありません。
取りあえずは“特異と見事”ですから、(私には経験がありませんが)他人の秘め事を覗くような目で注視しました。ところが、彫刻は凝っていても、「見事」の方が当てはまりません。まず、何を彫ってあるのかがわかりませんから“評価”のしようがありません。
具象的なものとしては鳥の翼や尾羽がありますが、それ以外の造作が理解できません。期待していたのは素朴なエロスですが、意味不明ではグロテスクとするしかありません。
左の側面です。一部苔が厚く覆っており、光がまったく当たっていないこともあって細部の立体感が乏しくなっています。
こちらも不思議な造形ですが、言葉に代えると「アーチ状の何かがあり、その左右に松葉とも羽根とも見えるものが上に広がり、その上に鳥が留まり下を見下ろしている」となりました。
頭をひねる中で「竹とスズメ」に思い至ったのですが、葉脈が鱗状であるのに気が付いたので、せっかくの閃きも却下となりました。結局は、私の感性では(わけがわからないので)「特異」と呼ぶことができただけでした。
室内には「日向」と「日影」に道祖神があるというので、まったく別の道祖神の彫刻に、真剣に「女陰の図案」を関連づけていたとも思えてきました。
自宅で写真をじっくり眺める中で、思い付いて右側面の写真を45度回転させてみました。「オッ、これは」と閃き、上写真の下側に置いてみました。
「年の瀬に、“こんなこと”をしていていいものだろうか」と、自問自答しながら完成させたのが左の合成写真です。
これはもう、女性のパーツそのものでしょう。改めてそのように見ると、左右対称でないことが、石であっても生々しく見えてくるのが不思議です。こうなると、「御見事!!」と言うしかありません。
また、縄文式土器にも見られる彫りの深い造形から、作者の石工は、八ヶ岳山麓に住んでいた縄文人の血を濃く受け継いでいたとも思ってしまいます。近くには大石遺跡や阿久遺跡がありますから、縄文のパワーが…、と次々に誇大表現が浮かんできます(からこの辺で)。
好事家が持つ興味半分で始めた「原村特異見事道祖神探索プロジェクト」ですが、「原村室内の道祖神は、国内“最強のアート”だ」とする結果を出して終了しました。
祠の彫刻に目が行ってしまいましたが、主役はあくまで道祖神です。最後になりましたが、御両人の登場です。
見事とも賞賛される、家に施された特異な装飾と違い、二人は慎ましやかに手を取り合っていました。