等高線を簡略化した『地理院地図Vector』で表示する阿弥陀岳と赤岳周辺です。県境と市町村境に色を付け、県郡市町村名のラベルを付けてみました。
これを見ると、左部分(諏訪郡)の市・町・村に境界線が無いのがわかります。
代わって、□内を拡大した「明治四十三年測圖昭和四年要部修正測圖」とある参謀本部『八ヶ嶽』の五万分一地形図です。
境界線が登山道と紛らわしくなっているので、上図と同じ色でマーキングしてみました。まだ合併前なので、原村を除いて「玉川村−茅野市」「本郷村−富士見町」と読み換えてください。
地理院地図とは縮尺が違いますが、原村と本郷村の境界が中岳(阿弥陀岳−赤岳の稜線)まで伸びている他は、大筋では同じと言えます。
令和の現在でも、茅野市・原村・富士見町の統治が及ばない「無法地帯」が存在していることになります。しかし、これについての話は、原村へ移住して45年有余の私でも聞いたことがありません。
この部分は登山者以外は寄りつかない山中なので、住宅や別荘は一軒もありません。「税金をどこへ納めるのか」とか、「郵便物の住所をどう書くのか」と悩むことが不要ですから、このままでも差しつかえないということでしょう。
当時の東京都知事が都有化を図ったばかりに未だに混乱が続いている尖閣諸島のこともありますから、極めて重大な懸案でも、それに対して声を挙げるのは控えているということでしょう。そのため、三市町村の歴代首長だけが引き継いでいる「秘密の協定事項」、…ということでも(多分)ないようです。
平成の大合併について、この三自治体は、岡谷市・諏訪市・下諏訪町との合併を拒否して自立を選んだという経緯があります。そのため、私は「境界の決着がついていないので、合併に二の足を踏んだ」とも思ってしまいます。
以上私の戯れ事のような見方を並べてみましたが、原村『公民館報はら』に、前村長の清水さんが寄稿した文に詳細が載っていました。ただし、長文なのでここでは紹介しません。