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斧淵諏訪神社の並立鳥居 鹿児島県薩摩川内市東郷町 斧淵

鹿児島県薩摩川内市東郷町 東郷町の「斧淵(おのぶち)」地区にある諏訪神社です。旧斧淵村でもあるので、その名を冠した諏訪神社にしました。


斧淵諏訪神社 '16.12.5

 薩摩川内市湯島町の南方神社からとって返し、つまり、同じ道を往復する羽目になりました。本来は諏訪神社→南方神社という道順ですが、初めての土地なので効率よく巡拝することができません。

斧淵諏訪神社の並立鳥居 すでに朝霧も晴れ、紅葉の鮮やかさも一層のものとなりました。周囲は山里といった中の道を快調に飛ばし、小さな橋を渡ると諏訪神社でした。
 境内に、諏訪神社建立六百年祭記念実行委員会が設置した詳細な案内板があります。しかし、立ち寄り参拝者の神社紹介では無意味とも思えたので、一部だけ転載しました。

 以上の五社は一族の氏神なり。後世に至り、諏訪大明神を加えて、東郷一族の氏神とする為、東郷氏九代重明(東郷入道重光)が明徳三年(1392)七月二十五日、現地荒川内に勧請。
 いわゆる諏方神社としてこの地に創建し現在に到る。建物は元禄六年(1693)再建の記録があり、現存する建物は明治と思われるが詳細不明。

斧淵諏訪神社拝殿 諏訪では一ヵ月前の景色が、ここにありました。見頃にはまだ早いのですが、拝殿より、このモミジを主題に撮ってみました。
 拝殿は、案内板では平成21年改築とありますが、基礎も新しいので新築したように見えました。

斧淵諏訪神社の並立本殿 拝礼を済ませてから、拝殿に上がりました。拝殿の入口や奥の扉が開放されて本殿を直接拝観できると、参拝したという実感が湧きます。もちろん地区の事情もあるのでわがままは言えませんが。
 ワイド一杯でもこの構図が精一杯でした。左右の下社・上社の本殿を逆にして合体させれば社殿の形状がわかりますから、斜めから撮った本殿の写真を載せるのは止めました。これが薩摩を代表する並立本殿ですから、二棟が写っていなくては意味がありません。

斧淵諏訪神社の鳥居

 右側の鳥居の一部が変色し「奉寄進天保三年」と読めます。近づくと、柱の下部は一皮剥(は)いだような黒地で「壬辰七月吉日」と刻まれています。「これは一体…」と観察すると、鳥居の大部分はコンクリートの地肌でした。
 つまり、「壬辰七月吉日」の部分だけが天保の鳥居で、左の鳥居を含む全てをコンクリートで造り直したことになります。その時に、記念として一部を残したのでしょう。
 全てを一新する方法もありますが、石造りで、しかも二基ともなると莫大な金額になります。諏訪神社の氏子はあくまで並立鳥居にこだわったので、コスト安のコンクリート製を選んだ、と勝手に想像してみました。もちろん、化粧地で仕上げていますから、普通に見れば石の鳥居です。

薩摩川内市東郷町斧淵の諏訪神社

 南方神社と同じく、間に川を挟んで撮ってみました。続けての景観なので、当地の諏訪神社は川を前面にした立地と思ってしまいました。

 サイト『鹿児島県神社庁』に〔諏訪神社〕があります。「御射山祭」を思わせる祭礼の部分を抜粋しました。

 七月二十八日に祭典を執行するにあたっては、同二十日より重役以下が別所に籠もって祭事を行い、同二十七日に内祭の式があり、二十八日の大祭には、国主名代と係りの所役の行列に、船倉濱両町の者が麻上下を着して高股立に大小を帯し前後に供奉して参詣した。
 三献の式等も厳粛に行われ、神舞神楽その他東郷諸在の農民が太鼓踊を奏し、種々の狂言等を寄進する者もあって盛大に斎奉った。

 『三国名勝図会』〔薩摩郡 東郷〕[神社]からの転載です。

諏方大明神社 地頭館より寅の方二十町 斧淵村にあり、祭神二坐、當邑宗廟、往古は紫尾権現なりしに、昔時東郷若狭守重親、當社を宗廟に崇めたりといふ、今に至て然り、明徳三年壬申、當社造立、大檀那澁谷薩摩前司入道沙彌重佛 重親より四世の孫 と記せる棟札あり、祭祀七月廿八日、社司田中氏別當吉祥寺、