東郷町の「斧淵(おのぶち)」地区にある諏訪神社です。旧斧淵村でもあるので、その名を冠した諏訪神社にしました。
薩摩川内市湯島町の南方神社からとって返し、つまり、同じ道を往復する羽目になりました。本来は諏訪神社→南方神社という道順ですが、初めての土地なので効率よく巡拝することができません。
すでに朝霧も晴れ、紅葉の鮮やかさも一層のものとなりました。周囲は山里といった中の道を快調に飛ばし、小さな橋を渡ると諏訪神社でした。
境内に、諏訪神社建立六百年祭記念実行委員会が設置した詳細な案内板があります。しかし、立ち寄り参拝者の神社紹介では無意味とも思えたので、一部だけ転載しました。
諏訪では一ヵ月前の景色が、ここにありました。見頃にはまだ早いのですが、拝殿より、このモミジを主題に撮ってみました。
拝殿は、案内板では平成21年改築とありますが、基礎も新しいので新築したように見えました。
拝礼を済ませてから、拝殿に上がりました。拝殿の入口や奥の扉が開放されて本殿を直接拝観できると、参拝したという実感が湧きます。もちろん地区の事情もあるのでわがままは言えませんが。
ワイド一杯でもこの構図が精一杯でした。左右の下社・上社の本殿を逆にして合体させれば社殿の形状がわかりますから、斜めから撮った本殿の写真を載せるのは止めました。これが薩摩を代表する並立本殿ですから、二棟が写っていなくては意味がありません。
右側の鳥居の一部が変色し「奉寄進天保三年」と読めます。近づくと、柱の下部は一皮剥(は)いだような黒地で「壬辰七月吉日」と刻まれています。「これは一体…」と観察すると、鳥居の大部分はコンクリートの地肌でした。
つまり、「壬辰七月吉日」の部分だけが天保の鳥居で、左の鳥居を含む全てをコンクリートで造り直したことになります。その時に、記念として一部を残したのでしょう。
全てを一新する方法もありますが、石造りで、しかも二基ともなると莫大な金額になります。諏訪神社の氏子はあくまで並立鳥居にこだわったので、コスト安のコンクリート製を選んだ、と勝手に想像してみました。もちろん、化粧地で仕上げていますから、普通に見れば石の鳥居です。
南方神社と同じく、間に川を挟んで撮ってみました。続けての景観なので、当地の諏訪神社は川を前面にした立地と思ってしまいました。
サイト『鹿児島県神社庁』に〔諏訪神社〕があります。「御射山祭」を思わせる祭礼の部分を抜粋しました。
『三国名勝図会』〔薩摩郡 東郷〕[神社]からの転載です。
諏方大明神社 地頭館より寅の方二十町 斧淵村にあり、祭神二坐、當邑宗廟、往古は紫尾権現なりしに、昔時東郷若狭守重親、當社を宗廟に崇めたりといふ、今に至て然り、明徳三年壬申、當社造立、大檀那澁谷薩摩前司入道沙彌重佛 重親より四世の孫 と記せる棟札あり、祭祀七月廿八日、社司田中氏別當吉祥寺、