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小黒部諏訪神社 桧山郡江差町小黒部町

 江差町と厚沢部町以外の「町」は、すべて字(あざ)です。

map ネットで「北海道 諏訪神社」を検索する中で、「諏訪神社 江差町小黒部(おぐろっぺ)村越後町」を見つけました。
 その「江差町」の地図に、村ではない「小黒部町」を探し出しましたが、小字(こあざ)と思われる越後がありません。似たような「越前町」はありますが…。

小黒部諏訪神社(探索) '09.7.2

若宮神社

 地図にある鳥居だけの神社は、すぐに見つかりました。しかし、その赤屋根を目の前にしても参道がありません。

 都合よく道脇で作業中の人々がいます。彼らから聞き出した道順でようやくたどり着きましたが、鳥居は「若宮社」を掲げていました。そうなると、諏訪神社は境内社の一つかもしれないと辺りを見回しますが、「諏訪」の文字はありません。
 同じ人に再び尋ねるのは調子が悪いのですが、道を教わった礼を言ってから「実は諏訪神社に…」と切り出しました。先ほどはその名を出さなかったので、これで行く先が即決するはずでした。ところが、首を傾げるばかりです。結局は、脇にいる年寄りから若者まで、一同「知らない」と声が揃いました。

 地図では、旧小黒部村と思われる地域外にも神社の凡例があります。それを一社づつ確認しますが、4番目となる最後の神社も「諏訪」ではありませんでした。「越後」を尋ねても、「越前町はあるが越後町は聞いたことがない」と言い張ります。

厚沢部町

 捜索範囲を広げると、江差町を越えて厚沢部(あっさぶ)町に入ってしまいました。小黒部町に近い神社があるので、名前を確認しようと歩き始めると駐在所があります。お巡りさんに“すがる”と、初耳らしく道路地図で調べてくれました。さらに、知り合いがいるという神社庁や神社総代にまで電話を掛けてくれる精一杯の対応には頭が下がりましたが、その度にふくらんだ希望の風船は、最後はしぼんだままとなりました。その中で、「小黒部」は「おぐろっぺ」と言う(読む)ことを知りました。
 初日の順調さに「今日中に岩見沢市まで行ける」と目論んだのですが、4社目で挫折しました。通常の観光なら「これまで」と打ち切りますが、江差町の図書館で資料を探して再挑戦、と翌日に持ち越すことにしました。

江差町図書館

 開館早々の職員に事情を話すと、『村誌・村史』の類はありませんでしたが、小黒部町に関する『江差町誌・江差町史索引』『北海道神社庁誌』を選んでくれました。
 まずは分厚い『北海道神社庁誌』です。リストには「諏訪神社 小黒部村越後」とありますが、これはすでに既知の情報です。次の『江差町史索引』には「諏訪神社」の項目が二つあります。その一つを『江差町史』に求めると、「諏訪神社 若宮社付属社 小黒部村越後町鎮座 祭神建御名方命・八坂富命、相殿倉稲魂神・誉田別命 創立文久元年」がありました。

 「これだ!」と小躍りしましたが、鎮座地は未だ不明の「越後町」です。結局は、昨日訪れた「若宮社の付属社」という関係がわかっただけでした。

 残ったのは、「小黒部町の郷土史に詳しい人の話をまとめたような内容」の冊子です。「諏訪神社」は無視されましたが、「寺子屋が越後町にあり、その跡は小学校の敷地になった」と書いてあります。現状では、地元の人も持参の地図も「越後町」知らずですが、小黒部へ戻って「小学校→越後町」で迫ることにしました。

 その前に「江差町内の諏訪神社」を探しました。『江差町誌』に、別の「諏訪社 上の町観音の森鎮座」があったからです。図書館の職員に訊くと、江差町内にも「上の町」があると言います。観光絵地図をもらい「+α社」と欲張りましたが、こちらも幻に終わりました。町外の人で、上の町の小路をくまなく歩いたのは「ゼンリン」の調査員以外は私だけ、と胸を張ってみましたが…。

 図書館を後にすると、「重要文化財・横山家」の看板が見えます。同家の名物「ニシンソバ」に食指が動きますが、まだ10時前です。せっかく江差まで来ましたが、小黒部に取って返しました。

越後町と朝日小学校

 江差町(字)朝日町は、道の片側だけに人家がある20軒程度の集落でした。その中心部に、今は廃校になっていますが該当する小学校があります。まずは、その隣家に声を掛けました。しかし、ここでも「諏訪も越後」も知らないと言い張ります。
 糸口も見つからないので「他国でも自力本願」しかありません。学校に車を駐め、徒歩で東西に渡る民家の間や山際を往復とも目を光らせましたが徒労に終わりました。

小黒部
突き当たりが朝日小学校

 すでに2時を大きく回っています。二日に渡って探しましたから「諏訪明神も納得してくれるだろう」と、小黒部では唯一の写真となった小学校を撮って引き揚げました。


小黒部・越後町(越前町)・朝日小学校

 自宅で確認すると、『江差町立朝日小学校の沿革』に「明治15年 小黒部学校を創立し、小黒部村の通称越後町に開校。明治42年 校舎を大谷地に新築移転」とありました。これから、現在の朝日小学校は「越後町」ではなく、小字「大谷地」であることがわかりました。また、越後町は“通称”ですから、核となっていた学校が移転したので、しだいにその名前は忘れられていったと考えました。

 振り返ってみると、「私の旧小黒部村」と「地元の小黒部町」が噛み合っていなかったことに疑問を感じました。調べると、「平成の大合併」ではなく、すでに明治9年に泊村との合併で小黒部村は消滅していました。その泊村も昭和30年に「江差町に吸収合併」ですから、「明治期の通称・越後町」など地元の人の記憶にも残っていなくても当然とわかりました。
 また、平成11年発刊の『北海道神社庁誌』が「小黒部村」と記載していることは、「包括外神社は旧データのまま転載」という編集方針と思われます。多分「注記」辺りにその旨が書いてあると思いますが、今となっては確認しようがありません。

 「大正六年測圖」とある、五万分一地形図『江差』を参照しました。

江差町小黒部

 ここには、「上・下」を含めた「小黒部」が三ヶ所載っていますが、残念ながら、それ以外の字(あざ)はありません。

若宮神社は「諏訪神社の付属社」

 再び、『江差町史』の「諏訪神社 若宮社付属社 小黒部村越後町鎮座 祭神建御名方命・八坂富命 相殿倉稲魂神・誉田別命」を挙げました。実は、これを読んで、現在の社名「若宮神社」から「若宮神社の付属社が諏訪社」と思っていました。しかし、社格は「神社>社」ですから、「諏訪神社(付属若宮社)」と読むべきと気が付きました。
 これで、諏訪神社の祭神「建御名方命・八坂富命」に、相殿(合祀)として若宮社の祭神「誉田別命(・倉稲魂神)」となりスッキリしました。ところが、神社の名称は若宮社で、地元の話からも諏訪神社がまったく見えません。いつの頃からか諏訪神社が外されたことになりますが…。