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「乳房と太股」チブサン古墳  熊本県山鹿市

 熊本県山鹿市立博物館で、「珍品」と書かれているわが国唯一の石包丁型鉄器と、久原遺跡出土の人物と鹿の線刻がある絵画石包丁を見学してから、チブサン古墳の見学を申し込んだ。

 この古墳は、以前「熊本の装飾古墳と石橋巡り」と銘打って、一連の古墳を探訪した折りに立ち寄っている。その時は「風土記の丘・肥後古代の森」として整備される平成4年以前だった。
 予想通りというか当然というか、石室入り口は扉で覆われていた。古びた説明板の「見学者は教育委員会へ申し込め」の文字に、一応、名の知れた古墳の前に立っただけの「満たされぬ満足感」だけを抱いて退散となった思い出ある古墳だ。

 ところが、今立っている、古墳マニアだけが訪れるひっそりとした史跡は遊歩道や駐車場が整備されて「史跡公園」と名前が変わり、新設の壁画のレプリカや説明板の前に若いカップルや家族連れがたたずんでいる。
 見学時間が迫ると、いつの間にか駐車場は満杯となり、30人ぐらいの老若男女が今や遅しと待ちかまえている。「通路の片側に寄って一列に並んで下さい。石室の入口が狭いため頭をぶつけないように2、3人づつ入ってください」と見学方法の説明を終えると、男性職員は半地下状の入口を覆うステンレス製の扉を開けた。

 通路の奥にガラス窓が、との予想は外れ、意外やコンクリートの階段が上へ延びている。保存上、温度と93%という湿度を保つためらしい。
 最上部にある羨道入口は狭く、屈まないと入ることはできないが特に問題はない。しかし、帰りが問題だ。女性は頭上の石と水のたまった足元を気にし、しかも短めのスカートからのぞく太股の露出を如何に防ぐかという試練が待っている。下からは、今か今かと待ち受ける(一応、足ではなく壁画見学順番の)男性の目が光っていると想像されるが、見学者は皆紳士で、見て見ぬ振りをしている。

 本題は、女性の足の鑑賞ではない。湿気でやや曇った1メートル四方のガラスがはめ込まれた黄泉の世界だ。最奥に、立派な屋根を持つ組み合わせ式石棺の板状の壁面に、写真では何回も見たが夢にまでは見なかった、赤い二つの同心円が目玉のように光っている。下の青い逆三角形が口に見え、まるで笑っているようだ。しかし、地元では乳房に見えることから「チブサン」と呼び、乳がよく出るようにと信仰の対象にしているという。

 チブサン古墳は壁画とは距離をおいた見学だが、照明と高い湿度が赤い顔料を艶やかに浮かび上がらせ、床面に堆積した土や石は濡れているのか妖しく光っている。熊本県立装飾古墳館の乾いたレプリカとはかなり差がある。

 後から到着した見学者が待っているために落ちつかず、一旦退出して再び列の最後尾についた。外が見えないために比較はできないが、入口(地表)から4メートル以上の高さにある石室に疑問を持ち、古墳に占める石室の位置を尋ねた。やはり石室最上部(天井)から墳丘上までは2メートルもないそうだ。

 最後に残ったのは、考古好きらしい男性三人で、お互いに各地の情報交換をしたり学芸員に質問をしながら、九州では初めての装飾古墳をたっぷり楽しんだ。

 それにしても、頭をぶつけ靴を汚す度に上がる墓室内の嬌声に、こんな華やかな古墳見学もあるもんだ、と驚いた。被葬者も戸惑って、否、今日はどんな人(女性)が来るのだろうかと、楽しみにしているのかも知れない。

平成6年5月