「40年間の思い込み」というか、極自然に使っていた言葉が何かの拍子で間違いであったことに気がつくことがある。普通に発音すればまずわからないから他人は指摘しないし、逆に耳や目から入ってきても、アクセントやイントネーション・活字の一つ位の違いには気づかない。
「コガタアカイエカ」は日本脳炎を媒介する蚊の一種だが、「アカイ・エカ」と読んでいた。これは「アカ・イエカ」で、漢字で表記すると「赤家蚊」となる。同じ昆虫で「カマドウマ」をカマドーマと読み書きしていたが、これも「竈馬(かまどうま)」。
「相馬の馬追」とばかり思っていたが、実は「相馬野馬追」が正しいと知ったのがつい最近で、その相馬市の北側に位置する福島県北端の新地町に、同じ名がついた「新地貝塚」がある。何か訳の分からぬ長い導入部となったが、更に、今年のニュースで、「のうまおい」ではなく「のまおい」と知った。
「道路地図ではこの辺り」と徐行しながら目を配ったが、「この辺り」は畑が続くだけで人の影もない。取りあえず車から降りてみた。オッ、女子高生だ。別に下心があるわけではないが、「道を聞く」という名の下に堂々と話しかけることができる。
しかし、この炎天下に自転車をフラつかせながら近づいてくるのを横目で見ているうちに、その進行を妨げることが気の毒になってきた。そうなると、この年代は「史跡の類」には興味がないから「例え目と鼻の先にあっても知らないことが多い」と消極的になった自分に対する言い訳も浮かび大いに心が揺れた。
こんな自分の存在を風景の中の一点としか認識しなかったのか、彼女は、喉元まで声が出かかっている自分に、“トキメキ”だけを置いてゆっくり通り過ぎて行った。
最後の頼みはガイドブックの解説文だ。「新地高校の近く」との記述に、「すると、今の彼女はそこの学生か」と、鼻に浮かんだ小さな汗粒をなぜか想像してしまった。貝塚を通してちょっぴり自分と縁があったこの小さな出会いが、しばらくの間頭から離れなかった。こんな他愛のないことに時間を割くことができるのが一人旅の愉しさでもあり、哀しさでもある。
旅先で学校の前を歩くことがよくある。特に小学校の場合は、休みで子供達の姿が見えないと校舎や体育館には存在感が感じられない。寂しそうな、というより、虚ろな表情でたたずんでいるように見える。この高校の無表情さも同様で、部活も休みなのか校庭にも人の声が無い。夏休み中とあって、遠慮無く校門から車で入った。
昼下がりのひっそりとした校舎の裏に廻ってみた。窓が開いている。首を伸ばして声を掛けると、びっくり顔の先生達に一斉に見つめられてしまった。驚かせたかな、と思ったが「貝塚はどこですか」と尋ねると、ていねいに教えてはくれたが、気の毒そうな顔で「行っても何もありませんよ」とつけ加えた。「せっかく来たので一応行ってみます」と、礼を言って歩き始めた。
トウモロコシなどの夏野菜に囲まれた、貝塚の標柱がある畑に貝殻の破片が散在していた。シジミやアサリの殻を捨てた自宅の畑の方がまだそれらしいと思ってしまう。
しかし、久しぶりに自分達に興味をもってくれた旅人の出現に、風化し、痩せて、つやの無いことで「俺達は文化財なんだぞ」と一生懸命訴えているような姿に、「わかった。確かにここは貝塚だ」と、先ほどの考えを引っ込めた。
同じ時代を生きた、貝は殻を、縄文人は骨を残したが、八月の太陽と土に灼かれている食べられた貝が我々の目にふれ、いつもの「縄文人どもが夢のあと」とうなずいてみた。
地図には「新地貝塚附手長明神跡」とあるこの貝塚には、巨人伝説がある。山に腰掛けた巨人(手長明神)が長い手を伸ばして海の貝を食べ、貝殻をここに捨てたというのである。
文化財のおまけを「附(つけたり)※」と言い参考資料となる付属物のことだが、これに準じると神様が付録ということになる。「貝も数が多いと偉くなる」というより、ここでは断然、神様よりゴミ捨て場のほうが格が上なのである。
※〔附〕珍しい例では姫路城の便所がある。一応国宝である。
昭和60年8月