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真脇遺跡「昔イルカ、今温泉」 石川県鳳至郡能都町

真脇遺跡 縄文時代前期(約6000年前)から晩期(約2000年前)まで、4000年続いた遺跡。環状に立ち並ぶ巨大木柱根と、おびただしいイルカの骨が出土した。

真脇・日曜の朝

 梅雨入り直前の曇り空を透かしてわずかに感じられる陽の光が、防波堤で区切られている海と陸とを等しく照らしている。入り江に沿って延びたコンクリート壁の内側は、日曜の朝という事もあって間延びした空気に包まれ、時折通る人も心無しか歩が遅い。
 宿泊地となった、今立っている保育園脇の空地は芝が適度に生えており、前も海とあって環境としては申し分ない。しかし、身体を動かすと、昨日の汗を吸い込んだTシャツが呼び寄せるのか、湿った生温い空気がまとわりつき不快感がある。

 いつもの通り、まず湯を沸かす。褐色の粉が泡立つのを見ながら、時間を掛けてたっぷりのコーヒーを抽出する。「能登の海を眺めながらモーニングコーヒー」を実践するために、防波堤によじ登った。見渡す入り江はベタ凪(なぎ)だが、その分、見下ろす海の底は透明度が低い割に諸々のゴミがよく見え生活臭がある。折しも木箱がその上にゴミを乗せたまま、意地悪く超スローペースで漂っている。
 沖を眺めることでそれらを無視し、最初の一口を味わった。コーヒーの熱さが持続している間、見慣れた風景が全くない世界で何事にも束縛されない一時の幸せにどっぷりと浸る。冷め掛けた残りで、ブレックファーストのドーナツを流し込んだ。空になったカップの底を見れば、もう車に戻るしかない。

 濡れタオルで身体を拭い、新しいTシャツと靴下を着ける。視界の隅に犬が近づいてきたのが分かった。「咬みつかないから捕まえてくれ」といきなり声を掛かられ、何事かと見返せば、リードだけを持ったパジャマ姿の男が少し離れて立っている。本人(飼い主)が近づくと逃げてしまうのだそうだ。
 手のひらを向けると、近づいてくる。スムーズに頭を撫でる手順と進み、その手で首輪を確保してしまえば、束の間の自由を楽しんでいた犬には気の毒だが一件落着となった。礼を言われた事から立ち話が始まった。

 真脇遺跡から会話がつながった内容を総合すると「天領だったこの地方は昔はイルカがたくさん捕れて豊かだったが、今では半農半漁の漁師では跡取りが金沢まで出てしまう。ここは20年前は砂浜だった。今温泉が出て施設を造っているが、遺跡だけでは人が集まらないので国民宿舎を誘致している。資料館の建設場所も決まったかな」となる。
 過疎が進む中で、考古に興味がない町民にも真脇遺跡の存在は大きいらしく、それに関連する事業に期待を持っているのが感じられた。話の切りに「今でもイルカは来るのか」と問えば、「たまに沖に来るが警戒して中まで入ってこない」と返ってきた。

真脇・土曜の夜

 今、目に映るこの一帯は能登のひなびた村そのものであるが、夜の顔も体験したので書いてみた。

 昨夜の事である。「醤油を求めた(※後述)旧道筋」は、民家は連なっているが、酒屋だけが明かりを漏らすだけで静まり返っていた。標識には「真脇市街」とある集落入り口(私には出口)に、だだ広いのが返って不気味な交差点がある。その一角に、開店休業の状態だがしっかりコンビニの役目を果たしている小さな食料品店があり、自販機の前には自転車の高校生がたむろしている。それを横目にして向かった新道沿いには、一軒だけだが「地方発送いたします」の幟を立てた土産用の生鮮魚介類の店が、八時半というのに開いていた。
 夜中には、何と暴走族が現れた。面倒で時計も見なかったが、堤防沿いの直線道路を、バイクがけたたましい排気音を立て何度も往復していた。

真脇遺跡公園

ドジを踏む

 工事中の公園内にあるとばかり思っていた、復原された黒い巨木の列はどこにもなかった。途方に暮れて、プレハブの工事事務所に声を掛けた。見事に顔や腕が赤黒く焼けた当直者がわざわざ外に出て、「遺跡は田の下だ」と、指をさしながら説明してくれた。
 ここで、ようやく、同じ大木のウッドサークルが発掘されて復原展示している金沢のチカモリ遺跡を真脇と思い込んでいたのが分かった。

 話(時間)は昨日に遡るが、富山の魚津埋没林博物館を見学した後、「さて真脇は」と地図を探すが、…ない。ガイドブックの索引から追うと、何と能登半島の先端に近い。別に住所変更した訳ではなく、一方的に半島の付け根・氷見か高岡付近と思い込んでいたのであるが、結局「行け行けドンドン」でここまで来てしまった。
 この二重のミスは、急に思い立っての行動に加え、前夜「天河伝説殺人事件」なるテレビ映画を見終わったのが一時近くだったので、仕事帰りに購入した地図とガイドブックをろくに読みもせず飛び出したのが原因だった。「まー、このような旅もたまにはいいか」と慰めたが、来た甲斐はあった。

 建設中の公園には、シンボルとして真っ先に作られ完成している九本の巨木が扇状に立てられている。左手は展望台らしきものがほぼ形を表し、円形のコンクート基礎は浴場か。

※ ストリートビューで確認すると、真脇縄文遺跡縄文館だった。(2.5.20)

 日曜とあって、ショベルカーやブルドーザー等の重機が活躍の場を失ってうなだれている。事務所の建築許可申請板に「能登町縄文真脇温泉浴場」とあるのはよいのだが、設計・監査が「十勝サーカス・象設計集団」とあるのには頭をひねった。

真脇遺跡

 ここの工事現場から見おろすと、左手の岬と右の尾根に挟まれた狭い入り江の向こうに富山湾が望まれるはずだが、曇天で空の色に溶け境がハッキリしない。その手前に人家が左右に連なり、そこから眼下にかけて緑濃い水田が広がっている。
 この水田の下にあるのが真脇遺跡、ということは、田を横切って堤防状に盛り上がった線路の中ほどにポツンとある能登鉄道真脇駅が遺跡の上にある、ということになる。これが「真脇縄文駅」と命名された由縁らしい。

※ 現在は廃線。

 何を焼いているのか、白い煙が左へ流れている。チェンソーのかん高い音に気を留めると、諸々の音が耳に飛び込んでくる。ウグイスなどの小鳥のさえずりからトンビの「ピーヒョロロー」も風に乗り、漁船のエンジン音・オレンジと白のツートンに塗られた列車のディーゼル音までがのどかに聞こえてくる。
 しかし、すぐ右手に見える学校では(案内板で知った)婦人会の運動会が始まり、マーチと共に女達の声がかしましい。戻ると、工事現場事務所前の道路が、いつの間にかその臨時駐車場と化していた。

真脇遺跡資料館

 ボランティアが管理しているプレハブの館内は、建物の外観からは想像できないほど壁一面に復原された土器が並び壮観だった。一括指定(219点)された重要文化財の中には、我が国最大の有孔鍔付土器や、「お魚土器」と愛称がついた第46回石川国体の炬火台のモデルとなった真脇式土器もあった。保存展示されている木柱に残る石斧の使用痕が生々しく、縄文人の生きるための技術を身近に感じた。

番外!? 醤油を求めて真脇の町を彷徨(さまよ)

 穴水付近のスーパーで買ったパック入りの刺身。鯛とイカそれに甘海老が三尾で、〆て480円。宿泊地を確保し、これで晩酌はバッチリだとキメたが、いざラップを剥がすと醤油が見当たらない。ビールは未開封だったので、「醤油のない刺身なんて」とお預けとなった。
 時計はとっくに八時を回り、(前出の)先ほどの店も一升瓶ならあるといわれ、手ぶらで帰るのも何だとアイスクリームを買って引き下がった。旧道に沿ってかけずり回った。隣の「小木」へも遠征したが、スーパーと呼べる店もすでに閉店で、開いていた食料品店もやはり一升瓶ならと言われ、すごすごと引き返した。

 海沿いの密集する明かりも、近づくと只の街灯の集まりで何度も引き返した。おかげで此処の地理に詳しくなったが、結局、素材そのものの味を口にすることとなった。その代わりと当てにしていたクルミ入りのチーズもアイスボックスに入れるのを忘れたため、アルミの包装をはがすと一緒に付いてくるほど溶けていた。ビールだけはよく冷えていて、チーズをなめながら飲み干した。

平成4年7月