鶴岡市から山形市へ向かう国道は庄内平野を南下し、即身仏で知られる朝日村の役場を過ぎると、東にあたる月山の方角へ向きを変える。
しかし、それは地図上での話だ。ドライバーにとっては、車のフロントガラスの前に尽きることなく現れる「国道112号と名の付いた道の先に月山があり山形市がある」となる。東西南北には関係ない単なる「前」が重要で、上部が北を表す地図を見てしまうと進行方向とのズレに悩み、地図を逆さにしてようやく納得する事になる。
その「前」の遥か先には、衣替えをするチャンスをすっかり失い、春の服を未だ着続けているような輪郭のハッキリしない山々が重く沈んでいる。
地の果てだった青くくすんだ山並みも、近づくに従い徐々に緑色に変わり始めた。「今年は冷夏(※平成5年の記録的冷夏)」の先入観から心なしか緑濃いとは言えない木々の底を、川と並行して延びる白い道に導かれて山の中へ分け入って行く。
最近各地で目に付くようになった「道の駅」が、朝日村では博物館や美術館それに製造直売の月山ワイン工場の近代的な建物群となって現れるが、それも一瞬の事で再び山に包まれる。
道路地図では、田麦俣(たむぎまた)の手前で二つに分かれた後、互いに絡み合いながら東南へ延び、寒河江(さがえ)ダム上流でようやく再会する区間距離25.5キロと22.5キロの同じ太さの赤い線は、どちらも国道112号を表示しているのに気がつく。
屈曲の多さでそれと知れる旧道は、身をくねらせ喘ぎながら山を渡り歩く(と想像される)が、新道はそれらの難所を全てトンネルでパスしている。しかし、「新」が「普通」となった現在、“一般旅行車”は旧道の存在やそのトンネル上を五回も立体交差している事実には気がつかない。
程良い道幅とカーブに、旅慣れた者(自分)はついスピードを上げ、道交法を遵守する先行車にプレッシャーをかけてしまう。
朝日村の田麦俣で兜造りの多層民家を見終えると、新道へ引き返すのも面白くないと、反対の道をとった。その旧道は、人家が途切れるとそれが合図かのように左右から草や伸びた木の枝が覆い始めるが、道路中央部には一車線分の空間が辛うじてあいていた。
舗装はしっかりしているが、雨で落ち葉が張り付き枯れ枝等が散乱している。その連続に芽生えた不安と後悔の念を、クラクションで押さえ込むように鳴らしてカーブの一つ一つをこなした。しかし、「区間内警笛鳴らせ」の対象物である対向車は現れなかった
道路以外に人工物が存在しない、獣道を思わせる緑のトンネルの前が開けると駐車場が出現した。左方山側には、ガスのベールを通してロッジ様の施設も見える。
交差点を前にして慌てた。旧道からの「闖入車」には標識が用意されていなかったからだ。「湯殿山ドライブウェイ」の入り口らしいと想像したが、どちらへ曲がったらよいか分からない。取りあえず左折し、山側に向かうと有料道路のゲートが見えた。
後続車がないことを幸いに、明日の山の天気を地元の人の勘で教えて欲しいと料金所の係員に尋ねると、「今日と同じ」と返ってきた。
出羽三山巡りは、羽黒山神社から月山経由で湯殿山神社に下る、又はその逆がベストだ。しかし、マイカー登山の一番の弱点である「縦走ができない」という事実の前には、妥協してどちらかからの月山ピストンしか方法がない。
写真を見て気に入った羽黒山側にある弥陀ヶ原の湿原散歩優先を考え、先に車で湯殿山神社にお参りしてから、取って返して羽黒山側から月山ピストンと決めたが、その計画も雨の存在にグラグラしてきた。
緑一色の山並みに、違和感のある巨大な赤い鳥居と大きな建物が頭を出した。雨にも関わらず、神社本部や売店休憩所前の駐車場はほぼ満車の状態に見えたため、少し戻って、小型車が一台だけポツンと置かれている少し離れた手前の駐車場に車を止めた。
ガラスを伝う水滴を見ながらどうしようかと思案していると、その車に山帰りらしい年配者が乗り込んだ。すぐに出発する気配がないのを見定めて、情報収集と近づいた。悪天候で食事もとれなかったのか、しきりに手を口に運んでいる彼だったが、怪訝そうな顔も、山の話と分かると機嫌良く応じてくれた。「雪がかなり残り視界も利かず大変だった」と、苦労して成し遂げた直後とあって饒舌だった。ズボンの裾の汚れがその奮闘を物語っていた。
代わって、バスを待つ合羽を着た重装備の若者に尋ねた。後は下山だけという安心感からか、雨風が強く何も見えなかったと笑顔で話してくれた。
すでに四時を回っている。とにかく湯殿山神社へ行かなくてはと、トイレに入って体調を整えた。山は寒さが予想されたが、今は冷夏とはいえ一応夏だ。我慢できないことはないと、傘だけを持って前に止まっているバスに乗り込んだ。
ここからは一般車通行止めで、神社近くまで専用のバスがピストン輸送する。発車間際に乗り込んできた数人のおかげで、大型バスに一人きりの片身の狭さはなくなった。急坂と急カーブが続く狭い道の運転に感心している内に、乗客はすぐ降客と名前が変わりバスの旅はあっけなく終わった。
ガスで霊場の雰囲気が盛り上がる山道を歩くが、すぐ湯殿山神社前の広場に着いた。正面に関所のような黒い門があり「湯殿山本宮」と書かれている。右側の休憩所らしき建物を見ながら、門の左方にある小さな受け付けに向かった。「御祓所」と看板が掲げられた中に神官が三人控えている。神に仕える者と俗人の間を隔てる板の上には各種の神社グッズが置かれていた。
掲示の拝観料を払う準備をした。ここまではいつものパターンだが、「お祓いをするから靴を脱いで裸足になれ」との言葉にすっかり頭が混乱してしまった。自分の怪訝そうな顔を見て再度説明してくれたが、やはり意味が分からない。取りあえず、これだけは理解できた背後の小屋に近づいた。
正面だけオープンになっている、屋根と壁だけの簡素な建物は、地面にスノコが敷かれ休憩用の机や椅子が設置されていた。年配の女性が数人腰掛けている。先輩に見習えば間違いないと足元を見るが、皆靴をはいている。
聞き違いだったのかと恐る恐る尋ねると、靴を脱いで裸足で参拝するとのこと。言われてみれば、スノコの周囲に様々な靴が置かれている。「湯殿(風呂)に入るのに下足で入る訳にはいかないか」と、納得したようなしないような妙な気持ちで再び神官の前に立った。
拝観料を払うと、御札や御神籤の類と見えた木箱から御守りと小さな人形状の紙片を渡された。「もろもろのつみけがれを はらいたまえきよめたまえ」と印刷された形代(かたしろ・ひとがた)に自分の邪悪を移してから水に流すと説明を受け、言われた通りに傍らの小さな川に流して三度目となる神官の前に立った。これだけ事前のセレモニーがあると、自然と神妙になって頭を垂れ、素直な気持ちでお祓いを受けることができた。
この儀式は、「先行者」があれば、そのフリを見た「後続者」は「前へ倣え」と理解が早いと思われるが、この天気では疎らの参拝者がそれぞれのトップで、いきなり裸足になれと言われて面食らってしまうのも不思議ではない。
お守りをしっかり持って門をくぐり、石が敷かれた道を下った。裸足で歩くのは久しぶりとあって、馴れぬ感触に初めは抜き足差し足で加減したが、足当たりがよいので今の季節では返って気持ちよく歩ける。下りきると、異様な物体が目の前に立ちはだかった。御神体だ。しかし、
「語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな」〈芭蕉〉
とあるように、「ここで見た事は人に言ってはならぬ」ということで、話は一気に下山となる。
帰りはバスに乗らずに駐車場まで歩いたが、結構な急坂で、翌日の足の筋肉痛が参拝記念として残った。
結局、月山登山は諦め、明日は河北町紅花資料館と山寺芭蕉記念館など山形市近辺の観光に切り替えた。
平成5年8月