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六地蔵は見た〈新潟県三島郡寺泊町〉

研修旅行フリータイム1時間の旅

 (お買い物)1時間のフリータイムを利用して、海の幸を求めてゴッタ返す「日本海鮮魚センター」から離れた。適当な路地を選び、なだらかな坂を山側に向かった。突き当たった通りは旧道だろうか。新旧どちらの家も屋根の切り妻が道路に向いた街道は、車と人であふれていた国道沿いとは別個の時間が流れていた。

 人影が無い商店をガラス越しにのぞきながらゆっくり歩いていると、同じような、山側に延びた石段の小路が幾つもあるのに気がついた。標柱から全て寺の入り口と分かる。冬支度だろうか、植木鉢の整理をしている人を見つけ「照明寺」への道を尋ねた。「寺が多いですね」と続けると、町の名前はそれからきている、と返ってきた。これがいい。土地の人とのささやかな会話から旅情が一段と高まる。

 寺より先に白山媛神社の鳥居が現れ、落葉が張り付いた石段を上った。絵馬は何処に懸かっているのかと見回すが、雪囲いに覆われた本殿や周囲の建物にはそれらしきものはない。
 背後に目をやると、一目で収蔵庫と判る建物が目に入った。傾いた「町文化財」の木柱を横に見て赤錆びた扉の前に近づく。ガイドブックを開くと「北前船全盛時の絵馬が52枚奉納されている。見学は教育委員会に要予約」とある。いつものように取っ手を回してみたが、しっかり鍵が掛かっていた。

 横の小道に見当をつけ照明寺へと向かったが、頭を切り替える暇もなくすぐその寺の境内に飛び出てしまった。この本堂も海からの風雪が激しいためか、軒の下から鎧のように雪囲いの板に覆われており、この土地の冬の厳しさが想像できた。
 良寛が一時期を過ごした密蔵院(昭和33年復原)の裏手に、乱雑に積み上げられた高さ一メートル位の、墓石と供養仏の山が三つ目に入った。近くで落葉掃除をしていたお年寄りに声を掛けると、よく聞き取れなかったが、これらは墓地の移転で残った無縁仏の石塔で、魂を抜いてあるから「ただの石」と同じ、ということらしい。集合時間が気になり始めたので、もう一度石の山を目にしてから引き返した。

 港を見下ろす石段を下り切ると、得体の知れない男がヒョコヒョコやってきた、とでも言い合っているような背の高い六地蔵が両側から迎えてくれた。顔の表情は定かではないが、その分赤い被り物が鮮やかだった。
 しかし、先ほどの光景が目に焼き付いている自分は、目や口が無いのは風雨に磨かれたのではなく、余りにも多くの、もの言わぬ人間が通り過ぎるのを見続けてきたためと思ってしまう。

 ざわめきが近づいた。増え始めた人々を避けているうちに、横倒しの石塔が墓地の斜面に半ば埋もれ、その凹部に雨水が溜まって赤いもみじの断片が浮いていたのを思いだした。一旦立ち止まり、今は無縁仏となった墓石を建立した人々の流転を想いながら、休日を楽しむ観光客をボンヤリ眺めた。

 雪深い照明寺の小さな歴史に偶然立ち会った旅人のため息は、魚の匂いのする雑踏に呑み込まれると、「早くお土産の干物を買わなければ」との鼻息に替わってしまった。

平成4年11月