山形市からの六十里越街道(国道112号)に平行して走る新道は、真夏の熱射に対抗してより緑を濃くした木々が爽やかな、走るだけでも楽しい山間(やまあい)の道だった。ここまでは鶴岡を目指す車の流れに委ねてきたが、それに逆らうように、要所要所に必ずある手作りの案内板に導かれて即身仏の里に深く分け入った。
大日坊の境内は、林間学校に使われているのか同年代の子供達であふれ、その歓声に改めて夏の盛りを実感した。ハンドマイクを持つ住職の後を、大勢の拝観者に囲まれながらソロソロと続いた。
外陣(げじん)の壁際にある小さな厨子の前には、長い髪の毛がはみ出た半紙の束やヘアピンが山と置かれている。その隣で、「初夜に使用した紙を供え夫婦和合を願う」という説明があった。何年前のモノか分からぬが、その色あせた紙片は妙に生々しさを感じさせ、この山里の背後で秘かに息衝く何やら得体の知れないモノに、未だ見ぬ即身仏の姿が重なった。
須弥壇(しゅみだん)の裏側に当たる回廊は、一見、何も存在しないただの通路に見えた。しかし、「それ」は、壁に作り付けられた厨子に、ちょうど本尊の大日如来に背を向けた格好で安置してあった。
強い香の匂いに包まれる中、白く変色した乾いた皮膚が残るミイラの仏様を、皆恐い物見たさで交互にのぞき込んでいた。手を合わせる人は少ない。自分を含めた興味本意で訪れる人間達に、真如海上人は「まー、世の中平和だから許す」と苦笑いしているかもしれないが、その形相は余りにも凄まじかった。
その時は臭気消しの香だと思ったが、後で考えると二百年も経た即身仏に匂いが残っているはずがなく、大きな花瓶に活けられたオミナエシの匂いがその源であったと気がついた。改めて、即身仏を抱えた寺のオドロオドロしさが、強すぎる香水の悪臭一歩手前の匂いと共に鮮やかによみがえってきた。
国道112号から別れ、今日三番目の即身仏が安置されている本明寺を目指すが、標識が見あたらない。改めて道路地図を広げると、川の近くに「本明寺」と表示してある。Uターンし、しばらくして現れたさほど広くない川に見当をつけ、上流へ向かった。
入口に鳥居がある(後述)のに戸惑いながら、庫裏らしき建物に声をかけた。兄弟と思われる子供達が顔を出したが、元気のよい応答の割にサッパリ要領を得ない。諦めて、境内の奥へ進んでみた。
今が盛りという自分達の世界にフイに現れた侵入者を追い払うように、一段と声を高めた蝉の大合唱に、顔が火照り、全身がさらに汗ばんだ。その、わめくような大歓声に覆われた小さな御堂を見上げると、額に「本明海」と読める。これが出羽地方最古の即身仏・本明海上人を祭る本明寺の霊廟だ。しかし、扉は閉まっており、せっかくここまで来たのにと、諦めきれずに回縁近くに腰を下ろした。
駆け足見物のあわただしい緊張感がフッと途切れると、ボーと何か白い物が目の前にあるのに気がついた。山ユリが、下はすでに散っているが、上に一輪だけ、かろうじてと言える姿で咲き残っている。見回すと、大木に囲まれて日陰になった境内に、同じようなユリが点々と咲いている。大いに盛り上がっているセミと、盛りが過ぎようとしているユリ。「そんな夏に今居合わせているんだ」と思うと、「今東北にいるんだ」との思いがじわじわと胸の辺りに広がってきた。
その余韻も何時しか薄れ、再び、体にまとわりつく夏が気になってきた。しかし、なぜか、逆に、雪の多いこの地の冬を想像してしまった。
帰りぎわに再び庫裏に寄ると、先ほどの子供達の母親らしい人が現れた。問うと、拝観できると言う。彼女の後について再び御堂に戻った。灯明を点け、合掌してからそっと厨子を開扉する姿に、自分とは明らかに異なる、この廟を護る静かな生活の流れを垣間見たような思いがした。
手を合わせて子供のように小さくなった上人を仰ぐと、大日坊の林間学校の賑わいや拝観者の列、注連寺(ちゅうれんじ)の「森敦(もりあつし)文庫」や大きな本堂などがしきりに思い返された。
「ここまで来るのに苦労した」と話しかけると、「住職の方針で宣伝等は一切していません」と答え、「訪れた人にだけ案内します。拝観料も戴きません」と続けた。その物静かな口調に、厨子の中から虚ろに我々を見下ろしている、仏とは言え白骨に近い壮絶な形相の上人と、それを全く気にしていない若い住職夫人との不思議な取り合わせ。そこに、今、自分が同席しているということが、暑さでボーとなった頭には白日夢のように思えてきた。
時折体に感じる風に徐々に気持ちを切り替え「ありがとうございました」と、二度目となってしまった拝観料代わりの賽銭を入れると、「どうぞ」と、彼女は上人の御札を差しだした。
ミイラと言う名の仏と夫人、ユリやセミ。こんな出会いに連日となった車中泊のつらさも薄れ、車の中で、「奉祈念本明海即身仏安全祈処」と書かれた御札に帰りの無事を祈った。
昭和60年8月
長らく、本明寺の鳥居が気になっていた。何年か後、羽黒山へ行く機会があったので寄ってみたが、…鳥居はなかった。納得がいかずに山門近くの民家に声をかけたが、おばあさんに「昔からなかった」と怪訝そうな顔をされてしまった。暑さで頭がボケていたのだろうか。