調べ物があって、扇野聖史著『万葉の道』を取り出した。パラパラと適当にめくっていると、楓の押し葉が出てきた。それは〔室生の道〕からで、完全に二次元の世界に圧縮された七つの陵を持つ色あせた葉は、艶は失われていたが、柄を持ちスタンドの灯に透かすと赤に橙の斑が鮮やかに輝き始めた。同時に、この一葉は室生龍穴神社で拾い上げたものと思いだし、思わず上を仰いで気がついた紅葉の照りも蘇ってきた。
年を重ねるにしたがって、早朝の起床が辛くなってきた。寝起きの辛さは今も昔も変わりがないが、休日には約束されたコーヒーを飲みながら丹念に新聞を読む、という安穏な朝を振り切る勢いがすっかり弱まったからだ。日常の暮らしから離れるのが不安で、目を覚ましてもなかなか起きあがれず、時には一人旅の気安さから中止ということも多くなった。
今朝も同様で、人肌に暖まっている布団から離れられずにいた。しかし、今日を逃すと、来年まで巡り会うことができない。というのも、丁度一年前の勤労感謝の日に奈良を訪れたところ、今が盛りという紅葉の「葛城の古道」と「山辺の道(天理−奈良)」を歩くことができ、それでは今年もと奈良行きを計画していたからだ。
覚悟を決めて、暖気運転をするために戸外へ出た。外灯の下で、霜に覆われて冷えきった鉄の塊は、動く意志が全くないように見えた。
(諏訪から奈良までの道中は割愛)
8時過ぎに室生寺への分岐点に着いた。大野寺に駐車場を確保したが、コーヒーを飲みながら朝食を作っているうちに貴重な時間を一時間も使ってしまい、出発は9時15分となってしまった。
宇陀川対岸の磨崖仏を見ながら東海自然歩道にも組み込まれている室生寺への旧道へと急ぐ。宇陀川に架かる朱塗りの橋を渡りきると日が陰り、予想外の寒さにポケットに手を突っ込んだ。丁度下ってきた車が巻き起こす風の冷たさに、さらにウィンドブレーカーのチャックを首まで引き上げた。室生川に沿う車道を歩く二人連れのハイカーの後ろ姿を見送り、右側の山道に分け入った。
付かず離れず流れる沢の水音を聞きながら林間の湿った道を登る。杉林に包まれると、余りの暗さに寒さが身に沁み指先が冷たい。それでも太陽の力は偉大で、密生した葉のわずかな隙間を、レーザー光線のように鋭くつらぬく何条もの斜めの光束に、もやが黄色く輝き揺らめく。
「留山」の表示が多く、その数だけ林道が左右に奥に延びている。女性のグループ二組を追い越すと、自分の前に続く道の先に人の気配は全くなかった。期待した紅葉とは無縁の、緑のモノトーンの林間をひたすら歩く。杉木立の石畳の道が途切れるとやや明るさが感じられ、峠に近い事を予感させられた。
10時20分に室生村の表示がある峠に着いた。立ち止まると、衣擦れの、といっても、パラシュート素材を使ったウィンドブレーカーがたてる音と落ち葉を踏む音が消えた。鞍部の左上方から小鳥のさえずりが届くと、微かな風が首を冷やした。さらに耳を澄ますと、くぐもったクラクションの音が遠く聞こえ、人里が発する唸り音が木々の底からわきあがってくる。
石畳の急な九十九折りを、年と運動不足にもかかわらずまだ自分の意志通りに応答してくれるターン時の体のひねりとブレーキ時の足のふんばりに、我ながら感心と駆け下りた。
傾斜の緩やかさと共に、梢にしがみついているまだ落ち葉と名前が変わらない枯れ葉や、道脇の秋草が陽に照らされた明るい道に変わり、忘れていた太陽の恵みを全身で受けとめた。歩を緩め、秋の山道を楽しんだ。
視界が開けると田圃が現れた。右手にある一群のススキの穂が逆光に輝いている。枯れ色の葉に揺れる銀色が美しい。左の小さな山田は、刈り取られた後から延びた、この時期に若草色とはおかしいがそれほどの明るく萌えている緑がまぶしい。
小春日和の柔らかな陽射しに包まれた、山上の離れ田の脇に続く道に落ち葉が舞い、白いススキの綿毛が舞う。眼前に広がり重なる山の赤い斑に期待が高まる。極当たり前のこの時期のこの色にこれほど感動するのは、暗く色の乏しかった山のトンネルを抜けたせいなのだろうか。
日陰に残る、霜の名残の露に濡れた道を下ると、規則正しく開いた杉の幹の間を透かして、やや霞んだ室生の谷が現れ、歩む毎に、色づいた室生の里が浮き上がってくる。一息入れて近づいた茶畑の、霜でしおれた花や咲き終わった花殻に、冬を目前にした季節を改めて実感し、多分今年最後の旅になるはずの心に、露で濡れてうなだれた花弁の白と黄色をしっかりと焼き付けた。
曲がりくねった急坂に点在する農家や墓地の脇を通り過ぎる毎に、煙がたなびく「里の秋」そのものがハッキリと姿を現し、それに伴い、のどかな空気から伝わってくる、チェンソーの甲高い唸り音や車のエンジン音の向こうに、未だ見えぬが室生の人々の生活と観光客の喧噪が確実に想像できた。
竹の林が、光が当たる所だけが黄緑に光り緩やかに揺れている。仏隆寺からの道を合わせると、室生川の対岸に一際赤い楓が見える。門前の赤い橋は見えるが、室生寺の、奥の院まで続く数多くの伽藍は全く見えず、その存在感は希薄だ。
建物の間から動かない車が見える。車道に飛び出ると、川沿いに続く渋滞する車の列と賑やかな人波に揉まれた。室生寺は前に川を控えているため、対岸の川沿いに門前町が形成されている。名物の草餅が、セイロからの湯気と共に誘惑する。店内では渋茶で作りたての餅を賞味できるので甘党の自分はかなりその気になったが、余りの人混みに、やはり草餅は旬の摘み立ての若い蓬でなくてはと理由を付け、何軒も素通りした。
土産や名物の数々の品を横目で見ながら、人の群れと車の列をかき分け、救急車をやり過ごし、左に室生寺入り口の赤い太鼓橋を見て、さらに奥へ進んだ。今回の目的は「龍穴」だから、「女人高野」は後回しだ。人の流れが逆になった。満杯となった最終の駐車場に行き場を失った車と、反対側から来る車で“車動き”ができずに渋滞している狭い道をスリ抜けると、人も車も不思議なほど消え去った。
ライダー達がたむろしている前を通って式内社龍穴神社に立ち寄ると、杉の大木に囲まれた朱塗りの社殿の周囲には、数人の参拝者が見受けられるだけだった。
祀られている竜神は、本来はここを守る役目の神宮寺である隣の室生寺の賑わいをどのように見ているだろうか。諏訪で言えば、排仏毀釈で今は地名が残るだけになってしまった神宮寺が盛り、諏訪大社上社がさびれたようなものだ。それでも時間帯によっては参拝客があるのか、粗末な社務所にはこの時期だけと思われる人影が見える。
再び車道を歩き、「龍穴入り口」の看板がある左の山道に入る。足元に一際鮮やかな楓の落ち葉を見つけ、奈良の旅では良きパートナーでありガイドでもある『万葉の道』の一頁に挟んだ。戻る方角に向きを変えた道に心配するが、高度を上げた林道状の道は、龍穴神社の裏手の辺りで再び大きく山手へ向きを変え谷を遡り始めた。
「天岩戸」と書かれた高さ6、7メートルの二つに割れた大岩にナイロンロープの注連縄が掛かっている。ワラ縄でないことに気を使ったらしく、黄褐色の色を選んでいるのがせめても慰めだ。少ない氏子による維持管理がかなりの負担になっているのは理解できるが。
「神域です。清浄第一、龍穴神社境内」の標識を何ヶ所かで見ると、龍穴手前の道沿いの日溜まりで年配の夫婦が昼食をとっている。カップヌードルにポットから湯を注いでいる。ここで初めて出会った竜穴まで足を延ばした二人に、同類項としての親しみを感じた。挨拶と情報交換をして谷に降りる。
50メートルも降りると、小さな遥拝所がある。光る銅版の屋根と白木が真新しいが、床には落ち葉が散在し、うっすらだが土埃が覆っている。対岸に目を上げると、垂直に近い柱状節理の岩だけに光が当たっている。赤く色づいた楓がそちこちに見られるが、いずれも小さく、谷自体は光に乏しく寒さを感じる。
上流から滑(なめ)を伝い、ここでは遥拝所の右下に広がる岩盤の凹みを流れる水は、すぐに切れ落ちる岩の裂け目に流れ込んでいる。その下を見おろせば、小さな滝となった落ち口の淀みに、水流の意のままになっている落ち葉の塊がゆっくり回っている。
その上の三角形に開いた岩穴に、黄褐色のこれもナイロンロープの注連縄が懸けられている。竜穴だ。対岸にあるために大きさは分からぬが、さほど大きくない岩の裂け目といったところだ。ここからは見下ろす恰好となる暗い入り口は左側へずれ、奥行きもどれほどのものか想像もつかない。
龍は数多く描かれていて、その姿も架空の動物とはいえ一定の様式があり直ちに思い浮かぶ。しかし、その体長はというと具体的な数字は浮かばず、ただただ巨大な姿を思い起こすだけだ。それには遥かに及ばない竜の住処としての穴は、信仰・伝説上とはいえ、今一つ説得力がなく迫力もない。
今回、何故ここまで足を延ばしたかというと、室生寺はすでに二回訪れていることもあったが、テレビで、龍穴前の岩場で神楽を舞うシーンを見たからだ。龍穴信仰を研究しているわけでもなく、ただ、錦に包まれているはずのその舞台を自分の目で確かめたかったからだ。
現実は、一方的に期待し過ぎたためか、盛が過ぎ去ったのか、楓の赤を除くとそれほどでもない。特に、長野県と違って一日の気温差が少ないためか黄葉の色が地味だ。錦という感じではなく、楓の赤だけが散在するだけだった。
岩伝いに沢へ降りてみた。見た目の傾斜は緩やかだが、いざその上に立つと、濡れて苔の付いた大きな岩盤はスリルがある。慎重に乾いた場所を選んだが、やはり滑り、危うくひっくり返るところだった。体勢を立て直し思わず周囲を見回したが、このパフォーマンスを喜ぶ観客はいなかった。
ここで舞い太鼓を打つには、苔をとるなどかなり整備をしないと難しいのではと考えると、思わずデッキブラシで岩をこすっている場違いな姿を想像してしまった。龍穴は他にも何ヶ所かあるらしいから、放映された舞台とは違うのかも知れない。
林道に引き返すと、エンジン音が下から聞こえ、程なく二台の車が竜穴の前に止まった。休む間もなく中年の女性が団扇太鼓(うちわだいこ)を打ち鳴らしながら竜穴へ降りて行き、数人の男女が後に続いた。
祈りの証である長時間の太鼓の連打が気になり、興味もあって再び谷へ下りた。枝葉を透かしてのぞき見ると、遥拝所に座った女性が一心に太鼓を打ち鳴らし、その背後に神妙に頭を垂れている姿が見られた。雨乞の神に何を祈っているのだろう、といぶかりながら引き返した。
日当たりのよい道脇で、パンをかじりながら、湯が沸くのを待った。最近味が気に入って常食となったシーフードのカップヌードルが食べ時となったが、ザックのどこを探しても割り箸がない。最後の手段と、道沿いに植えられた、桜の幼木の枯れ枝を箸代わりに折ったところを、いつの間に登ってきたのか、年配の単独行者に見られてしまった。挨拶の後、「箸を忘れてしまって」と言い訳をしながら別れたが、彼は二十メートル程進んでから、一旦立ち止まると引き返してきた。もしやとの期待通りに「私は、もう済ませたから」と割り箸を渡してくれたが、余分な一言で彼の心を煩わせたことに、後悔と感謝の入り交じった複雑な思いを持った。
紅葉の盛りとあって、境内は人であふれている。せっかくここまで来たのだから十一面観音を拝観しようと本堂や金堂に続く列の後に着いてみたが、なかなか進まぬ状況に思い切りよく諦めた。
奥の院へ続く石段は傾斜が急で、途中息を整えるために立ち止まる人も多い。しかし、徐々に人口密度が多くなってくると、老いも若きも自分のペースを保つことが難しくなる。ひたすら前の人に歩調を合わせ自分の足先の空間を確保するのに精いっぱいとなる。
ここで、汗ばむ不快感と息切れの気分転換に女性のお尻を見ながらと不埒な考えも浮かぶが、何しろ足元を確認しないと危なくて登れない。一人コケれば将棋倒しになる危険性を思い、清浄な境内での不浄な思いつきは断念した。周囲を観察すると皆自分の事で精一杯らしく、息を弾ませているだけだ。
そんな経過で辿り着いた奥の院だったが、三度目とあって、義務的に一回りしてから下山にかかることとなった。余裕があるはずの下りも、しっかり汗をかいてしまった。
室生の山からも見えた、山門近くにある楓の下に立った。多くの人が立ち止まりカメラを上に向けている。明るい曇り空の下では色に鋭さがなく立体感も乏しかったが、赤く平面的な葉の重なりが、見上げる人々をやさしく照り返していた。
この真っ赤な秋のシンボルを見たことで、「今年の秋」も終わったと区切りをつけ、バス停に向かった。
平成4年11月