大阪市立博物館を見学するサークル仲間からそれとなく離れ、予定の行動を開始した。12時半までのフリータイムを利用し、大阪城付近のめぼしい所を見物しようというわけである。
手始めに、城内の石垣で一番大きな「蛸石」と三番目の「振袖石」の巨大さに驚いてから、地図を頼りに藤田美術館へ向かった。ところが、「9月まで休館」の文字の前に、「国宝・窯変天目茶碗」は一気に吹き出た汗と共に消えてしまった。
《現在時間10時40分》
しかし、太陽の直射と道路からの照り返しのサンドイッチに耐えて駐車場から三十分も歩いた労力を無駄にしたくない。
そこで、計画段階から候補にあがっていた市立東洋陶磁美術館の見学が可能かどうかを、地図を見ながらすばやく計算した。といっても、血圧の上がった頭は先ほどから空転していて、単に直線距離を比較しただけだが…。
時間切れで「こんにちは、さようなら」でもよいではないかと、地図を参照しながら最短距離を歩き始めた。
寝屋川橋を渡ると、天満橋駅の看板が見える。地図を開くと地下鉄が北浜駅に通じている。何もこの暑さの中歩く事はない。今まで恐怖の対象だった自動改札は昨夜初体験したし、恐れるモノは何も無い。
一区間だからと、料金表も見ずに最小金額の切符を求めた。念のために駅員に確認すると「次の南森町駅で乗り換えだ」と言う。「乗り換え」と聞いて芽生えた不安が、さらに、ホームの、次の駅名表示も違うことから次第に大きくなってきた。
若年時から140を越える高血圧症である自分だが、さらに上昇して頭が締め付けられるのを感じながら、駅員の言葉を反芻(はんすう)してみる。すぐに来た電車に、「取りあえずは、色々あっても行けるらしい」と、乱れた心の内はおくびにも出さず、ガイドブックと地図を隠して極フツーの顔で乗り込んだ。
しかし、下りたホームでうろたえた。乗り換えるつもりの反対ホームに「次の駅・北浜」の表示が無かったからだ。「それじゃー乗り換え場所はどこなんだ」と焦りながら、人の流れから一人離れた。「ここは冷静に」と思う気持ちとは裏腹に体が火照(ほて)り、その中心部が益々縮む。
「今なら、逆の手順で引き返すことができる」と思ったが、柱の陰で再確認と地図を開き、巻頭の交通系統図を調べた。ここで、「現在は谷町線で、北浜へは堺筋線に乗り換え」と理解できた。
同時に、初めに地図で見たのは京阪電鉄で、寝屋川から地下に潜り込んでいたのを地下鉄と勘違いしていたのに気が付いた。つまり、京阪電鉄なら一駅だが、地下鉄に乗ったばかりに「逆コの字」に遠回りになってしまったのだ。
改めて見上げると「堺筋線」の表示がある。ようやく目標を得たが、その乗り換え場所も同じフロアーに無く、案内板の文字を頼りに、あちこちと回った末にようやくたどり着いた。今度は、当然ではあるが「次の駅は北浜」の表示が迎えてくれて嬉しかった。
やっと目的の駅に着いた。ここで一区間の料金でよいのだろうかという恐怖に支配されたが、自動改札機は通せんぼの腕をあけてくれた。これで焦りまくった地下鉄からようやく解放された。
しかし、又試練の時は来た。出口が分からない。大手の事業所やビル名が表示してあるのだが勿論分からない。何とかなると、適当な出口を選び地上に出たのはいいが、ビルの谷間はビジネス街らしく人通りも無い。
右手へ一旦歩き始めたが、左に信号機が見通せたので、道路標識があるかと期待してその交差点に向かった。左側に川が見通せ、橋の手前には「京阪電鉄北浜駅」の大きな看板があった。本来は大きな顔で、余裕を持ってあそこから出たのにと、恨めしく地下へ通じる「穴」を見つめた。
中之島公園は、写生や散歩、昼寝をする人々がそれぞれの時間をゆったりと過ごしている。それにホームレスらしき人も余裕を持って歩いている。しかし、自分を支配する時の流れは砂時計の様に圧迫し続け、カウントダウンの声も聞こえそうだ。
五百円の入場券を求めた。暗い照明に馴れるまで時間がかかった。まずは国宝の「油滴点目茶碗」と「飛青磁花生」を鑑賞し、まだ余裕があったら見直そうと、青磁や白磁・三彩の展示品をザーと見ながら目的のケースに向かった。
独立した一画に、黒い茶碗が展示してある。金線の縁取から一見平凡な器に見えたが、中をのぞいて驚いた。「小さなニュートンリングの集まり」と言うと味も素気もないが、(今書いていて自分でこの表現は素晴らしいと感心している)世界中の虹をこの小さな器に押し込めたような、七色の銀河が広がっている。火と土が偶然に創り出した茶碗に、しばし見入った。無理を押して来た甲斐があった。
もう一点の国宝の壷は、対照的に「透明な青磁に鉄分の茶色の斑がこれ以上のバランスが考えられない程計算しつくされて配置されており、均整のとれた姿には気品がある」と感想を述べても、「百聞は一見に如かずで、機会があったらぜひ見られたい」と書くしかない。葉脈が沈線になった重文の木葉点目茶碗も、素人目ではあるが素晴らしかった。
つまずきもあったが、何とか国宝の拝観を果たすことができた。あとは速やかに大阪城の駐車場まで戻るのみだ。
《11時40分》
学習効果もあって、迷わず、地下にある北浜駅に向かった。地下鉄と違って本数が少ないのに気が付き再度焦ったが、11:59発に乗ることができた。今度は間違いは無いのだが、それでも落ち着かない。「集合時間に間に合うだろうか」と、窓越しの黒い壁を見ながらの一駅間の時間は長かった。
天満橋駅の「大阪城へ」の表示は、人工の明かりが自然光に替わると、暑さと共に、またもや、タクシー乗り場もある大きな出口にいきなり放り出してくれた。
ここまで来れば、人に尋ねるのは面白くない。しばらく迷った末に、取りあえず左へと交差点を渡った。川が見えたことから、記憶している地図の磁石がクルリと北を指し、東西南北が確定した。しかし、実感としての地図はあくまで「上下左右」だけである。
遅れた時の言い訳を考えながら、時間稼ぎで、とにかく走った。駐車違反取り締まり中の若い警官に、大阪城への道に間違いないとの御墨付きをもらい、寝屋川橋、京橋を渡り、外堀を渡り終えた。
《12時15分》
この時点で集合時間には充分間に合うことが分かり、立ち止まって汗を拭いた。城内の木陰の下に続く道に入ると心身ともに余裕ができ、さすがの大汗も引き始めた。京橋門にある第二の巨石「肥後石」を見るのはすっかり忘れたが、誰にも知られることがない時間との闘いを制して戻ることができた。
近来に無い密度の濃い時間を過ごした。「どのサークル仲間より時の流れが速かった」という相対性理論を体感したのであるが、うーん、暑かった。
平成4年7月