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吉備考古館「藤と髑髏」〈岡山県都窪郡山手村〉

 五月。長年あこがれていた吉備路(きびじ)を周遊した。作山古墳を見学した後に「ついでに」という感じで立ち寄った吉備考古館は、「これぞ正しい博物館」の見本のような古びた木造の建物だった。

吉備考古館は、御崎神社の境内にある民営の博物館です。建物は木造二階建てのかなり古いものですが、縄文時代早期の土器などを始め、岡山県内の出土品を中心に、質量ともに充実しています。殆どは、岡山県考古学の先駆者である水原岩太郎・時実黙水両氏の寄贈品ということです。
『山手村と清音村の話』

 木造の床がキシむ薄暗い館内を巡ると、不揃いの展示ケースの一つに、段ボール箱を台にした二つの頭蓋骨が、乾ききった表情で並んでいる。

 “目”を合わせないようにして読んだ新聞の切り抜きには、「近くの古墳から発掘された」とある。それなりの身分であった人物であることはわかるが、今は展示物の一つとして衆目に晒(さら)されている。その可否については、管理者でない自分としては、例え両人に異議を申し立てる権利があっても「これも時代の流れだから」と納得してもらうしかない。
 「文化財とはいえ、ちゃんと供養してあるのだろうか」との危惧もあり、二人に対しては関心が無い振りをした。いったん通りすぎてから振り返ると、それはこちらへ向きを変えておりお互いの視線が合った、…というような事は起こらず、相変らず正面を向いたままだった。しかし、「暇だナー」と、一人だけの見学者に興味を持たれても困るので、残りの展示品を足早に見ながら遠ざかった。

 太陽がまぶしい暖かな館外へ出ると、光を照り返す様々な木々の緑の垣根に甘い香りが漂っている。伊邪那岐命が黄泉の国から逃げ帰った程ではないが、やはりホッとしたというのが正直なところだ。
 その香りに呼び寄せられるように建物に沿って奥へ進むと、「むせ返る」とはこの事なのかと納得する、香りというより匂いが全身を包んだ。
 荒れた庭の隅に、無数の「薄紫のかんざし」をつけた藤の古木が姿を見せている。体が藤色に染まるかと思うほど、その命あふれる香りを思いっきり吸い込んでみた。

 「吉備路」と聞くと、藤の花にオーバーラップして、吉備考古館で展示物となっていた頭蓋骨が蘇ってくる。春を装うものと、残った歯を噛みしめ沈黙し続けるものと…。

昭和61年5月