何か安くてうまい昼食を、と羅臼(らうす)の町をキョロキョロしながら走る。名物「トド肉」の看板はあるが、あのアザラシに似た顔を思い浮かべると選択肢からは外れる。中心街から外れ始めて焦りを加えた目に、「海鮮」の文字が映った。
民宿食堂「海鮮 羅臼」は昼時とあって、満席だった。一瞬ひるんだが、畳敷のカウンター席に空きを見つけた。居場所が確保できたことでそれとなく見回すと、背広や作業服姿が多いのに気がついた。
連休が終わっても遊び回っていることに幾らか罪の意識を感じながら、壁に貼られたメニューを眺める。ところが、一般的な料理名が並んでいるだけで、「これは」というような品書が見当らない。定食がある。サンマ・ニシン・ホッケの三種類があり、迷った末にホッケの定食と決めた。
地元紙『北海タイムズ』に一通り目を通した頃、ようやく出来上がった料理だが、とっくに済ませたと思っていた隣の人に持っていかれた。しかし、カウンター内で忙しく調理するおかみさんの動きに無駄が見られないだけ、作り置きの料理がない事が想像できた。
腰を据えて再び新聞を読み返した。ようやく「お待たせしました」の声がかかった。おかみさんはカウンターにお盆を置き、さらに焼き魚が乗った大きな皿を並べると、立て続けの客に休みも取れなかったらしく、一服と奥へ引っ込んでしまった。私が一区切りの客だったことになった。
皿や鉢の中身は予想以上だった。右の小鉢に手を付ける。うーん、これは何だ。赤いブヨブヨしたモノ・食べた事はないが石鹸の味。これが、もしかして、あのホヤと言われているものではないか。疑問と感激が交差する心の高まりは顔に出さず、次の鉢に箸を延ばす。
これは見ただけで分かった。イカの塩辛だ。普段は絶対に手を出さないのだが、迷わず口に運ぶ。クセが無く食べやすい。次はモズクだと思われる黒い海草に、砂糖と醤油の甘辛さに強めの酢がからまりこれもうまい。最後はイカとタラコのマヨネーズ和えで、思わず頬が緩む。
大皿はメインディッシュのホッケ。塩加減が絶妙で、皮まで食べてしまった。思わぬご馳走に交互に箸を延ばす。これで千円とは安い。
会計時に大きな声で「おいしかった」と声を掛けたが、眼鏡の奥の表情は良く分からなかった。
車で湖畔にある温泉街を一通り流してから、国道沿いの観光ドライブインの風呂に入った。「次は飯だ」と完全に夜になったメインストリートを歩き回るが、これといった食堂が無い。いったん車に戻り、駐車場のあるホテルのレストランを探した。割高だが、当たり外れがないと思っているからだ。
別棟の宴会場で盛り上がっている人々を窓越しに眺めながら、広い駐車場を突切る。のぞいた食堂部は軽食のみだった。従業員の視線にそのまま引き返すのも気が引けて売店を一回りしたために、予定にないお土産を買ってしまった。
結果的に、この包み紙が手形代わりになるのではと思いつき、頭を悩ませていた駐車場が確保できた。次に目を付けた大きなホテルは、浴衣に着替えた若い女性のグループが一席を陣取り、外というかこちらを眺めている。一旦通り過ぎ、迷った末に、結局は気後れして諦めた。風が強く洗い髪の乱れた姿には、旅の恥も掻き捨てきれなかった。
ここ阿寒湖の最終目的は8時から始まる「アイヌの踊り」で、それまでに腹を膨らませておきたい。残るは、前もって偵察していた、土産物店が密集する「アイヌ部落」にある食堂だけだ。観光地のド真ん中だからヤバイと思ったが、すでに7時を半ばまわっており選択の余地はない。それに今夜は釧路までと予定しているので、9時過ぎの時間を考えると今しかない。
店内の印象はわるくなかったが、客は一人もいなかった。メインは昼間の観光客相手の商いなのだろう。メニューは平凡で安いラーメンにしようと思ったが、千二百円の「鹿肉定食」を見つけてしまった。
出された「期待通りの観光地仕様」の皿と鉢は、見た目にも寂しかった。六切れの肉は未体験の味だ、といっても「食」にはこだわりがないほうなので、これが鹿肉の味なのだろうという程度だ。ミディアムよりやや火が通った焼き上がりは私の好みだったが、それだけだった。
付け合わせのモヤシとピーマンの野菜炒めの他はこれといったものはなく、ただ味噌汁が作りたてなのに救われた。「肉が余りにも高価なため」と自分を無理に納得させたが、羅臼での昼飯との段差が余りにも大きく、後悔がいつまでも尾を引いた。
旭川からの帰り。札幌・小樽を経て余市に近づくと、時間と天候から石狩湾に沈む夕日の美しさが予想された。計画にはなかったが、神威(かむい)岬まで夕日を追い駆けようと、「シリパ・セタカムイライン」と呼ばれる積丹(しゃこたん)半島の(当時は)行き止まりの国道229号をハイスピードで駆け抜けた。
間に合ったものの、砂浜で見たのは、厚い雲の中で歪んだ太陽の赤だけだった。終点近くで折り返した。暗くなった浜道で行き会う車は皆無に近く、踏み込んだアクセルの分だけバックミラーに後続車の明かりが点くことはなかった。
そろそろ晩飯を、とガイドブックを広げる。今日は朝10時にパンを食べただけだ。一点豪華飯の実践と、北海道に来る前から雑誌の情報を読んで覚えていた美国(びくに)の「ふじ寿司」に決めた。札幌や小樽からわざわざ食べに来るという町の外れにある店は、こちらからは町の入り口で、山から下りきった所にあった。駐車場は満杯で人気の強さを示していた。
筆者のお薦めに乗って、「生寿司・特上」二千円を頼んだ。ネタは小振りだが、生だと思うと有難味がある。食べながらも、目の前の壁に貼られた刺身の品書が気になっていた。
「今が旬の鮑・ヒラメ・ヤリイカ・うに」とある。ゆらぐ思いを堅固にするため、「思いきって」と心の中で大声を出し、「マグロの刺身もお願いします」と声を掛けた。「積丹沖・本マグロ」のコピーには抵抗できなかったからだ。
目の前の皿に鎮座した厚さ一センチ弱の4×5センチの赤い五切の塊には、いつもの見慣れた端正な姿が見られなかった。切れ目がシャープでなく、一見馬刺の感じだ。この疑惑とも言える戸惑いも、これこそ「生」そのものだ・「本」と「その他」のマグロの違いだ、と店を信用して納得すると海のルビーはようやく輝きを取り戻した。
「1800÷5=360円」とすばやく計算して寿司と交互に食べたが、ビールが飲めないのが辛かった。最後の一切れを「これが三百六十円」とゆっくり味わいたかったが、すぐに噛み終わり、「積丹沖の本マグロ」は、はかなく食道の壁に沿って落ちて行った。
「生ものには旨味がある」と乏しい経験から強いて定義付けても、黙って出されれば区別がつかないのが自分だ。今や、冷凍した金魚を生き返らせたり、(聞いた話だが)不治の病を治療する技術が確立できるまで人間を冷凍保存するほど、現代の冷凍・解凍技術は進んでいるのだ。
岩内(いわない)からフェリーで帰る事に決め、乗船までの空いた時間を利用して江差からニセコまで足を伸ばした。江差まで約200キロ・約3時間と読んで、スピード違反の取り締まりに怯えながらシーサイドラインである国道299号を南下した。天気は上々で、北部や東部と違い、ここまで来ると桜が咲きタンポポが鮮やかだ。
江差では「ニシンソバ」と決めていたので、まず道指定文化財でもあるニシン漁全盛時を代表する網元建築・横山家へ向かった。入口は狭く、家名の入った暖簾(のれん)がないと見逃すほどだった。大家特有の、照明はあっても暗くひんやりした奥に延びた空間に立つと、ここの当主らしき男性が顔を出した。「ソバを」と声に出すと、右手の座敷に案内された。自分一人だけだった。
丼には、大きくもなく小さくもない程よいニシンの片身がソバの上に乗っている。それはふっくらと、中まで色が替わるほど煮つけられているが味はさっぱりしている。想像していた生臭さは全く無い。2時まで我慢した空腹を差し引いても、ニシンとソバという一見アンバランスな取り合わせは、両者の絶妙な味が微妙に絡み合い、八百円の値段と共に十分満足した。
しかし、心の充足感をよそに満腹感が不満を漏らした。そこで、江差追分会館の前にあるレストランで「三平汁」もと欲張ったが、中途半端な時間帯とあって実行を断念した。
北海道に上陸してから2日目に羊諦山(ようていざん)の麓を通ったが、雨でその秀麗な姿を見る事はできなかった。今日は、フロントウィンドウから、遠景から近景へ、右から左へと角度を変えながら展開するその山容は、さすが「蝦夷富士」と呼ばれるだけあって、白い山頂から流れるベジェ曲線は富士山そっくりだ。
ニセコでは、ペンション村「ポテト共和国」内の「エフ・エフ」の手作りハム・ソーセージが目当てだ。雑誌で仕入れた情報に完全に踊らされているとわかっていても、他に頼るものがないだけに素直に受け入れる事にした。
ログハウス風の店が何軒かある。丁度出てきた女性に営業中であることを確認して近づいたが、全く「店」らしくない。遠慮がちに入った内部も、初めは間違えたかと思うほど暗くガランとしている。よく観察すると手作りらしい土産がひっそりと置いてある。右手にショーケースが一つだけあった。それだけである。
若い主人が現れた。「帰りのフェリーでビールのつまみにしたい」と伝えると、彼は「スライスした生ハムはどうか」と提案した。しかし、「豪快にかじりたい」との希望に、名前は忘れたが粒胡椒が入ったソーセージを出してくれた。姿・大きさが気に入り平素の顔を装って支払ったが、一本千二百円は痛かった。
「どちらまで」と訊かれ、「長野の諏訪に帰る」と返すと、前に野辺山にいたと言う。「山(八ヶ岳)一つ向こうですね」と、幾らか会話がつながった。店内の隅にスキー板と靴が置きっぱなしのところから、スキーが好きでここに落ち着いたのだろうと想像した。
初めて乗る大型フェリーは4月に就航した新造船だ。豪華な浴室にちょっぴりリッチな気分に浸ってから、スウィートでも二等でも差別されずに座れるロビーのソファーに陣取った。心身をこの場の雰囲気に馴れさせてから、まず、経費節減で乗船前にスーパーで仕入れた缶ビールで喉を湿らせ、ソーセージにかぶりついた。
歯形のついた断面を観察すると、黄色の粒が見える。黒いのは胡椒で青物はハーブらしい。味はと言えば、歯触りは良いのだが少し塩味が強く、まだ熟成前といった風味で期待は外れた。しかし、これが本物の味かとも思い直した。
結局、「マルハ」の魚肉ソーセージで洗礼を受けた舌には、本物も霞んでしまうのだろう。普段は絶対口にしない千二百円を一気に食べ終えるのはもったいないと、半分を翌日に回す事にした。「常温で2、3日なら保つ」と確認してあるからだ。
少し奢った特二等は、フロントでは、寝台車のような感じとの説明だった。その経験がない自分はユースホステルを連想したが、まさしくその通りだった。カーテンで仕切られて一応プライバシーが保たれる二段ベットの下段に横になったが、暖房が効きすぎて少しムッとする。1時頃まで、やれ風呂に入れ・レストランに来い・バーが開いているとかのアナウンスに、その度に目を覚まされた。
平成2年5月